\ 現代社会の発展
5 現代文化の動向
概要
 光復以降、わが民族の直面した文化的課題は、新しい民族文化を発展させることであった。しかし政治的、経済的、社会的混乱と不安定のなかで民族文化の振興は困難であった。

 さらに国土が南北に分断された状況で作りあげられた文化は、どうしても南北間に異質な文化の様相をおびざるをえなかった。のみならず西欧文化の無批判的な受容は伝統的な価値観の混乱をもたらした。

 このような状況のなかでも、わが民族は日帝植民地の残滓を一掃し、民族文化を発展させるための努力を尽くしてきた。その努力によって教育、学術、宗教、文芸などの各分野で民族の自主性と独立性を確立するための努力が次第に活性化していった。

◇研究課題◇
1 光復以後、わが国の教育はどのような方向に発展したか。
2 光復以後の学術活動で植民地の残津を解消するための努力はどのように行なわれたか。
3 文学と芸術活動において当面する課題を解決するための努力はどのように行なわれたか。
4 21世紀を迎える今日のわが社会がかかえている民族史的課題は何か。


1 教育と学術活動
教育活動
 大韓民国政府は憲法で義務教育を規定し、教育法では弘益人間を教育の基本理念として掲げた。弘益人間とは、人間が学び得たものを多くの人に施し、すべての人がこれによって芽が出るようにすることで、これは、すなわちこの世のすべての人がともに良い暮らしができるようにすることである。弘益人間はわが民族が受け継いできた民族精神の源流であり、わが国の建国の基本理念でもある。現実的にこの精神は今日の民主市民社会においても人類共栄を志向する民主主義の理念と符合するものである。

 政府は建国直後から本格的に民族教育の基盤を設けるために、義務教育制度を充実して施行するために多くの努力を尽くしてきた。しかし6・25戦争によって教育環境はたいへん劣悪な状態におかれてしまった。しかし、避難地のテント教室でも教育はあきらめなかった。

 戦争中のわが教育の目標は、滅共統一への信念を若い世代に吹き込み、安保意識を鼓舞することに重点をおいた。また、この過程で道義教育を振興させるために力を尽くし、科学と技術教育を強化するために一人一技教育を実施した。

 休戦になり、ソウルに還都した後には、教育を再建するために多くの努力を傾け、破壊された教育施設の復旧にすべての力を尽くした。そして教育過程も新たに編成し戦時教育の性格から正常な民主市民教育に改編した。

 4・19革命を契機に、教育に対する新たな関心が芽生え教育本来の目標を追求する動きが現れた。それによって教育の政治的中立が求められ、師道の確立と学園の正常化のために努めた。しかし5・16軍事政変によって教育界も急変した。

 祖国近代化を最優先の課題とする軍事政府は、教育においても、いわゆる人間改造運動を強調した。そして社会教育では再建国民運動を強力に推進した。のみならず教育関係特例法を制定した後、教育自治制を廃止した。

 朴正煕政府に入って教育自治制が名目上では復活されたが、教育の中央集権化と官僚的な統制はつづいた。この時期に国民教育憲章が宣布されたが、この憲章は、わが社会の教育が進むべき方向を明示したもので、民族的正統性と現代の科学精神、そして実事求是がわが教育の目指すべき目標であることを明らかにしていた。

 政府は当時、小学生にまで行なわれていた課外勉強をなくすために中学校の無試験進学制度を実施した。そして、大学の質的水準を上げるために大学入学予備考査と学士資格考試を実施した。この時期から教育施設も改善・拡充され、国民の高い教育熱によって教育人口は非常に増加していった。

[写真:無試験進学の発表に歓呼する子供たち]

 1970年代には安保教育とともにセマウル教育が実施された。教育問題を研究するために韓国教育開発院が設立され、社会教育を拡大するために放送通信教育も実施された。またこの時期にわが国の精神文化や伝統的価値を研究し、望ましい民族社会の未来像を示すために韓国精神文化研究院が発足した。

[写真:全国放送通信高等学校の学芸競演大会]

 1980年代に政府は入試課外の弊害を減らすために努め、1990年代に入ってからは21世紀の情報化、国際化時代に能動的に対処できる人間を育成するための教育改革を推進している。


学術研究活動
 日帝の植民地下でわが国の学界が受けた苦難と害毒は非常に大きかった。したがって光復後、学界が解決しなければならなかった課題は、まず植民地の残滓を清算することであり、民族国家の発展をなしとげるための精神的土台と理念を定め、民主市民社会の学問的基盤を作ることであった。

 光復後の学術研究活動は1950年代までは初歩的段階におかれていた。日帝の植民地統治によって歪曲された国史学と国語学、国文学をはじめ社会科学、さらに芸術に至るまで、それを正し、新たな研究基盤を作りあげることが至急の課題であった。そのなかでもとくに日帝の植民史観によって歪曲されたわが歴史を正すことと、客観的な学問研究による正しい民族主義史学の確立が急務であった。これを推進する過程で伝統文化に関する新たな認識が確認され、学間的にも多くの成果を達成した。

 1960年代に入るころから韓国学の分野の研究が活発になったが、これは韓国自身のことに対する正しい研究をとおして独自の学問体系を樹立すると同時に、現実の状況を事実として把握しようとする実事求是的な学問研究に基礎をおくものであった。

 このような学問研究のために多くの学術研究団体が結成され、これらの団体を中心にして学問研究が活発に行なわれた。

 1970年代以後わが国の学問研究は、光復以後の研究成果を整理すると同時に新たに研究結果を評価し、新しい研究方法で問題を克服しようとする研究傾向を見せた。新しい研究方法が導入され、研究の範囲も拡大され、研究方向も再確立された。また国史編纂委員会を中心とした史料の収集・整理および韓国史の研究と史書編纂活動が活発になり、韓国精神文化研究院から『韓国民族文化大百科事典』が出版されるなど、韓国学の総体的な研究が少しずつ深まっていった。

[写真:国史編纂委員会]

 一方、自然科学分野の学術研究活動でも輝かしい業績をあげた。大学の設立と海外留学生の増加によって、数多くの研究人材を確保することが可能となり、韓国科学技術院など各種の研究機関の設立と政府の持続的な科学研究に対する支援政策によって、先端科学分野に至るまで画期的な発展をなしとげた。最近では産学協同が活発になされており、その結果民間研究所の研究活動も活発に行なわれ、世界水準の科学的な研究業績をあげるなど、飛躍的な発展をなしとげている。


2 宗教生活と文芸活動
宗教生活
 光復以後、宗教界はわが民族の精神的支柱として社会発展に大きく寄与してきた。わが社会が次第に産業化、都市化することによって、人間の疎外と価値観の混沌が発生したが、宗教はこのような問題点を克服するうえで求心点としての機能を遂行することになった。

 まず、仏教は1970年代から自ら一大革新運動を展開し、僧侶の資質向上と教育の刷新、布教の多様化などを推進した。また、世界仏教連介会を創設することによって韓国仏教の指導力と対外的な公的信頼惟をいっそう高めた。のみならず護国仏教の伝統を継承するとともに、現代産業社会に適用できる宗教活動を活発に展開している。

 日帝末期に大きな試練を経た改新教は、光復以後、飛躍的な発展をとげた。いろいろな教団に分かれていた改新教は教団の統一と社会参与を模索しながら教勢を拡張した。

 天主教は世界的な連携性と統一された教区組織をとおして活発に布教活動を展開した。とくに、天主教は教皇の訪韓と、103柱の殉教者の諡聖などによって、画期的な発展をとげることができた。

 これらの宗教以外で、わが社会の伝統的な宗教である天道教と大倧教も、それなりの基盤を確立し、円仏教も地道に教勢を拡大している。

 このようにわが国の宗教は光復以後、わが社会の民族的渇望と痛みを共有することによって、急変する社会のなかで人間らしさを守り抜くための倫理的価値観の確立に大きく寄与している。


文芸活動
 光復直後、国土分断と理念の対立によって文化界も両分された。民族主義的自由主義文学者は純粋文学を発展させるために全国文化団体総連合会を発足させた。一方これに先立って急進左翼系の文学者は朝鮮文化建設中央協議会を組織し、共産主義思想を宣伝、拡大させることに文化芸術活動を利用した。

 左翼と右翼は文学にだけでなく芸術界全般にわたって深刻に対立していた。共産主義の宣伝・扇動活動の先頭に立っていた左翼系の文化芸術人士のなかには、6・25戦争が勃発する前にすでに北韓へ行った場合もあり、また共産主義思想の宣伝のために地下活動に参加したりした。

 6・25戦争中、文化芸術界ははなはだしい受難を経験した。共産党が支配する地域では多くの文人は共産主義者によって強制的に投獄、拉致され、その結果多くの文化芸術人はいまだにその生死すら知らされていないのが実情である。戦争の困難のなかでも自由と民主主義の価値を痛感した数多くの自由主義的文人は自ら従軍活動に参加するなど、共産主義と向かい合って闘った。

 1960年代に入ると、文化界は戦争の影響から徐々に抜け出すことができた。戦争の被害を眺めながら戦時中に小市民の生活を主題とする文学芸術作品が出版された。人間の価値と生き方を作品の主題にして、それを扱った芸術活動が活発に行なわれた。文学のみならず芸術分野でもこのような傾向が現れた。この時期に国立劇場とドラマセンターが建てられ、各大学には芸術分野の専攻学科が多く設立された。
 1970年代以後には、それ以前まで無批判的に受け入れてきた西欧文化に対する反省が現れたりした。政府は文化活動を積極的に支援するために世宗文化会館を建設し、文芸振興院、芸術の殿堂などを設立した。わが文化に対する高い認識は伝統文化に対する新しい解釈とそれの発展的継承のための努力に活気を与えた。

 一方、文化界も1970年代後半から民主化の熱気に押し上げられ、新しい歴史意識と社会意識が強調され、民衆の生活を文化の主題として民衆の現実的な限界を克服しようとする実践的な文化運動が芽生えた。いわゆる民衆文化運動や民族文化運動と名付けられた文化運動がそれである。このような運動は市民の自由と基本権回復、民族統一を文化運動の重要課題としていた。

 1980年代以後には経済発展により市民生活にも余裕が生まれ、その結果大衆芸術としての映画、歌謡など多様な性格の大衆文化が大きく発展した。


3 体育の発展とオリンピックの開催
体育の振興
 日帝下のわが民族の体育活動は、民族の自尊心を目覚めさせ、民族の団結を促す触媒の役割を果たしていた。政治・社会的団結はもちろん健全な生活と国民健康のためにも体育は多くの人から関心を集めたのである。

 このように重要な性格を持っている体育に対して、わが政府は光復以後から深い関心を寄せていた。内では学校体育を整備、強化し、全国体育大会と少年体育大会などを定期的に開催し、国民の体力を強化し、スポーツ精神を鼓吹した。また外には世界の各種体育大会に参加して、わが民族の技量を世界に誇示したりした。

 1980年には体育振興法が制定され、社会体育が積極的に奨励され、国民は日常生活でも余暇を楽しめるようになった。プロ野球、プロサッカー、民俗相撲などの体育競技は多くの人の関心のもとで日々発展している。

[写真:民俗相撲]


オリンピック開催
 わが国の国力伸張と体育外交の成果で、1986年には第10回アジア競技大会がソウルで開かれた。この競技大会でわが国は中国に次いで総合順位第2位を占め、その後の北京アジア競技大会でも連続第2位を占めることによって体育強国の姿を誇示したりした。

 国際社会にわが国の発展ぶりを広く誇示する重要な契機は1988年の第24回ソウル・オリンピック大会の開催であった。この大会では、当時ではオリンピック歴史上最大規模の160力国・1万4000人の選手が参加し大盛況であった。とくに東西冷戦の葛藤により一時オリンピックに参加しなかった共産圏国家までソウル・オリンピックに参加し、国際的な体育祭典となった。この大会でわが国は総合順位第4位の成果を収めたことによって、世界に韓国の体育を再び誇示することができた。

[写真:第24回ソウル・オリンピック大会入場式]

 バルセロナで開かれた1992年のオリンピックで、わが国の黄永祚選手がオリンピックの花と称されるマラソン競技で堂々と優勝した。これは1936年ベルリン・オリンピックで孫基禎選手が優勝したのに続いて、再びわが民族の力を誇示したものであった。とくにわが国の体育活動は、国際社会にわが国の発展可能性を広く認識させた民間外交としても大きな役割を果たしている。


4 世界のなかの韓国
 私たちはこれまでわが民族が歩んできた過ぎし日の足跡を振り返ってみた。われわれがわが国の歴史を学ぶ理由は、単純に過ぎし日を省みることだけではない。それよりは、過去を見つめることによって今日のわれわれの現実を正しく位置づけることであって、それを土台に世界へ向かってより積極的な人生を展開することである。このためにわれわれは過去の歴史のなかで何を大切に保存し何を捨てるべきかを考えてみることが必要である。そこでつぎの幾つかの点を考えてみることにする。

 第1に、過去の歴史のなかで、わが民族の団結と発展に支えになった理念と価値、伝統、そして具体的な事件と社会活動などを見つけだし、それを大切にする心を持たなければならない。そのようなことを通して今日われわれが達成しなければならない団結と発展の新しい可能性を開いていけるのである。

 第2に、国難の厳しさのなかでも屈せずしっかりと国家と民族を守ってきた歴史を大切に保存するとともに、その精神を今なお改めて考えてみなければならない。不屈の民族の意志があってこそ、民族統一をなしとげ、わが国が世界に進出できる精神的な原動力となるのである。

 第3に、忍耐の苦痛に耐えると同時に、黙々と創造と献身を尽くした祖先の精神を大事にしていかなければならない。破壊よりは建設を、分裂よりは和合を大切にし、献身と責任を果たすことによって名誉ある民族の構成員の義務を果たすことがいかに大切なことかを知らなければならないのである。

 第4に、開かれた心でみんなが手を握り、世界のなかで進取の気性で臨むべきである。閉ざされた心では今日の世界の先頭を進むことはできない。民族の文化と世界の文化を調和させる、そしてこのような調和をとおして世界のなかでわが民族の正当な役割を占めるという意志が重要なのである。

 過去、わが民族の歩んできた足跡には喜びも悲しみもあった。明るい時代も暗黒の時代もあった。一時われわれは理念の対立で葛藤を経験し、6・25戦争の悲劇を経験した。しかし、今はこの苦しみと悲劇を乗り越え、おたがいに手をつなぐことで調和のとれた大団結の時代へ向かうべきである。対立と分裂そして葛藤の沼から立ち上がることによって民族発展の未来は開かれるのである。

 したがって、われわれが、この時点で正しくわが国の歴史を学ぶ人なら、同胞の喜びと悲しみも、よい日と心残りのこともすべてわれわれの胸に受け入れなければならない。そうしてわれわれはわが歴史から新しい可能性を見出し民族史の発展に献身できる決断と意志を持たなければならない。

 今日、われわれは政治、経済、社会、文化などすべての分野において一つの転換期を迎えている。それは、地球村が暮らしの基盤としてすべての人に自由に開放され、世界化に進むべき時であることを意昧している。かつてわが祖先が夢見ていた、堂々と発展した統一民族国家を建設し、すべての人が人間らしく暮らせる人格的な共同体を完成することこそ、わが民族の未来の課題なのである。われわれが歴史を正しく学ぶことは、このように大切で価値のあることなのである。


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