V 古代社会の発展
3 古代の社会と経済
2 古代の経済生活
対外貿易の発達
 三国時代には農業、牧畜業、漁業、手工業が発達し、以前の時代よりも生活が向上した。産業も発達して首都には市場が立ち、村落共同体中心の自給自足経済から脱皮して地方特産物が売買され、これが外国にまで輸出された。

 三国の国際貿易は4世紀以後大いに発達した。高句麗は主に南・北中国ならびに遊牧民である北方民族と貿易をし、百済は南中国及び日本と貿易を活発にして経済が大いに発達した。新羅は漢江の下流地域を確保してから、中国と自由に貿易をすることができた。

 当時、三国の輸出品としては麻織物、金・銀の細工品と珠玉、人参、毛皮類などであり、輸入品としては主に貴族の生活と関連のある絹と装飾品、書籍・薬剤などがあった。一方日本との貿易もたいへん盛んで、三国の先進的な文物が日本に伝えられた。

 統一以後、貿易活動は一層活発に展開された。とくに、唐との関係が緊密になって貿易が盛んになった。当時、対唐輸出品は布地、海豹の皮、人参、金・銀の細工品等であり、輸入品は絹と書籍など貴族が必要とする奢侈品であった。

 唐へ行く航路は、今の全羅南道の霊岩から上海方面に行く道と、京畿道南陽湾から山東半島へ行く道があった。一方、慶州から近い国際貿易港である蔚山にはイスラム商人まで往来するようになり、このとき唐の産物ばかりでなく西域の商品も輸入した。

 そして新羅人がしばしば唐に往来して、山東半島と楊子江下流一帯に新羅人の居住地である新羅坊が生まれ、新羅所、新羅館、新羅院が建てられた。その反面、新羅の三国統一によって日本は新羅を警戒するようになり、新羅も日本にいる高句麗、百済系の人の動向を心配して警戒を厳にするようになるにつれて、日本との経済的交流はかつてのように自由でなくなった。しかし8世紀になって政治が安定し、両国の交流は再び活発になった。

 とくに、張保皐は今の莞島に清海鎮を設置して海賊を掃蕩した後、南海と黄海の海上交通を支配し、唐、日本との貿易を独占したばかりか、大きな政治勢力にまで成長した。その他の地域でも海上勢力が大きくなっていった。

 渤海では商業がさほど盛んではなかったが、市場が所々に開設された。

 一方、渤海も唐との平和関係が成立し、貿易が活発だった。とくに、外交使節の往来と貿易が頻繁で、唐の登州には渤海館が設置され、ここに渤海の交換船が絶えず往来した。また王室や貴族中心の公営貿易が盛んだったが、民間貿易も行なわれた。

 渤海の輸出品は主に毛皮、人参、馬、金、銀などの土地の産物であったが、その他に仏像、ガラスのコップなどの工芸晶もあった。渤海は唐から主に絹、書籍などを輸入したが、これらはたいがい貴族の需要に充当された。
 
 また、渤海は日本、新羅坊とも貿易関係を結んで東海(日本海)の海路を開拓したが、当時渤海と日本との貿易規模はきわめて大きく、一度に数百名を越える渤海人が日本に行って交易活動をしたともいわれる。
統一新羅と渤海の貿易活動図
[図:統一新羅と渤海の貿易活動図]


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