韓国史(単元の概要)
T 韓国史の正しい理解
 われわれは初等学校と中学校につづいて三度、韓国史を勉強することになった。高等学校過程での歴史教育は、たんに歴史的事実についての理解を広げ、その水準を高めるためだけのものではない。

 高等学校での韓国史学習は、人物史と生活史中心の初等学校での韓国史学習と、主題中心の中学校での韓国史学習を土台にして、政治・社会・経済・文化等の側面から韓国史をさらに奥深く理解しようとするところにその意味がある。

 また、われわれの歴史の発展の側面を追跡して、民族と民族文化の真の姿を確認する一方、われわれの歴史的伝統を発展させて現在生活に継承していこうとするところにその目的がある。


U 先史文化と国家の形成
 わが国の歴史は、打製石器を使用して群れの生活をしていた旧石器時代からはじまった。新石器時代には櫛目文土器の製作とともに農耕をはじめることによって、部族単位の定着生活をはじめるに至った。

 青銅器時代には支配階級が出現し、国家が形成されたが、古朝鮮はこのとき創立された。古朝鮮は次第に政治的、文化的中心地の役割を果たしながら勢力を拡げて、満州と韓半島一帯を支配した。

 つづいて鉄器が広くゆきわたって農業生産が増大し、社会変化が促進されて、文化生活も多様になっていった。こうした土台の上に各地に多くの国が形成され、成長した。


V 古代社会の発展
 三国時代はわが国の歴史上、中央集権国家が成立し、発展した時期である。高句麗、百済、新羅は小さい国家で出発し、征服活動によって周辺の諸国をひきつづき統合し、国王中心の中央集権国家へ発展するのに成功した。

 三国はそれぞれ独自な文化基盤の上に、親善と対立を繰り返しながら華麗な古代文化を開花させた。しかし7世紀になって三国は、抗争の主導権を握った新羅によって統一された。これによって民族文化の同質的基盤が確立されていった。

 三国統一以後、満州地域では高句麗の伝統を継承した渤海が独自な勢力をつくり、成長したので、三国時代につづいて南北国の情勢が展開された。


W 中世社会の発展
 高麗は10世紀後半に儒教政治思想による中央集権化政策を推進した結果、地方勢力が中央政治に参与し、官僚化すると同時に門閥中心の貴族社会を形成するに至った。

 その後、内では、次第に保守的な少数の門閥貴族が政権を独占し、外では北方民族の侵略と圧力をうけて、執権内部の分裂と社会の混乱が現れた。

 しかし社会の動揺は収拾されない前に高麗は蒙古の侵略をうけ、40余年の粘り強い闘争にもかかわらず、蒙古の干渉をうけるに至った。この後、親元派を中心にした権門勢力が新しい支配勢力として登場した。高麗末には彼ら権門勢力に対抗する新進の士大夫勢力が台頭して現実の矛盾を克服しようと努力した。


X 近世社会の発展
 高麗から朝鮮社会への転換は、単なる王朝の交替ではなく、政治、経済、社会、文化等の諸方面にまたがる巨大な進展である。

 15世紀には王権を中心とする国家秩序が強化され、両班官僚中心の支配体制が整備され、国家財政が充実した。また、民生の安定と勧農政策の積極的な推進で人口と農地が増加し、国力が伸びた。政治的安定と社会・経済的基盤の上で、民族意識の覚醒と実用的な学問の尊崇によって民族文化が大いに進展した。

 16世紀には士林の勢力が強化され、政治、経済、社会、文化面で彼らの役割が増大した。しかし壬辰倭乱、丙子胡乱などの外勢の侵略にあいついで遭遇し、その間の発展が大きな打撃をうけた。


Y 近代社会の胎動
 朝鮮後期社会の変化は、近代社会の胎動と流れを共にした。両班中心の社会構造は、この時期にその矛盾を大きく現した。支配層は、構造的矛盾から生じた危機的状況を、その場しのぎの対策で対応しようとしたが、農民を中心にする民衆は、既存の社会秩序と価値観を拒否し、新しい秩序を模索しようとした。

 この時期に西洋では、近代国家と市民社会が成長していた。近代以後、西洋勢力の東洋への侵略は、朝鮮をはじめとする東洋社会に脅威的要素となった。これに対して、東洋の各国は、内部的な脆弱性によって、はじめは新しい状況に能動的に対処することができなかったが、次第に近代社会への動きを見せるようになった。朝鮮社会においても18世紀を前後して民衆の意識がいっそう成熟し、各方面で改革が追求されていった。


Z 近代社会の展開
 朝鮮社会は、内部から芽生えはじめた近代的な要素を十分に発展させないまま開港した。これ以後列強の侵略が相次いで、清日戦争、露日戦争を挑発した日帝の植民地支配下に入ることになった。

 しかし、わが民族は帝国主義列強の侵略に対抗して衛正斥邪運動、東学農民運動、抗日義兵戦争などを展開し、一方では甲申政変、甲午改革、独立協会活動、愛国啓蒙運動などをとおして近代国家の建設のために努力した。

 開港以後経済面では列強の経済的侵奪に対抗して近代的経済建設のための努力がつづけられ、社会面では両班中心の身分制度が廃止され、近代意識も普遍化していった。また、科学技術と文明施設が受容され、教育運動と国学運動、文芸活動と宗教活動が近代的、民族主義的性格を帯びて展開していった。


[ 民族の独立運動
 19世紀後半、帝国主義列強の侵奪が強化されていくなかで、近代民族国家の樹立を追求していたわが国は、20世紀はじめ、武力を前面に押し立てた日帝の侵略に国を強引に占領されてしまった。これによって多数の民族指導者が逮捕、投獄され、民族の生存権すらも侵害された。

 しかし、わが民族はこのような民族的危機を克服するために独立運動を多様に展開した。すなわち、武装独立闘争、民族実力養成運動、独立外交活動などいろいろな方略によってねばり強く日帝に対抗した。とくに、3・1運動以後には大韓民国臨時政府を中心に独立運動がより体系化、活性化した。第2次世界大戦中には日本とドイツに宣戦布告し、韓国光復軍は連合軍とともに日本に対抗して戦った。そうしてわが民族は1945年光復を迎えることができた。


\ 現代社会の発展
 わが民族は、国内外での民族独立運動と連合軍の勝利によって1945年、光復を迎えた。しかし、韓半島に駐屯した米ソ両軍によって38度線で南北に分断され、統一民族国家を実現することができなかった。

 超大国間の東西冷戦の熾烈な競争のなかで、わが民族は分断された状態で、南においては大韓民国を、北においては共産政権を各々樹立した。その過程で自由主義勢力と共産主義勢力との間で激しい対決が起こり、共産主義者の南侵によって6・25戦争が勃発した。

 その後、わが国では李承晩政府の独裁に対抗して自由民主主義を守るための4・19革命が起きた。しかし5・16軍事政変によって民主主義の発展が試練を経験した。一方、経済面では産業化が持続的に推進され、今日では先進国の入り口に立つことになった。


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