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韓国系アメリカ人 オリンピックでメダル獲得したら親が200人

中央日報 2006.02.23 19:29:31

<取材日記>ドーソンを2度泣かせた故国

 親を捜すため来月に韓国を訪問する予定だったトビー・ドーソン(28)が韓国行きをキャンセルした理由が、親を名乗り出る人からのeメール攻勢のためと伝えられ、後味が悪い。

 ドーソンは16日、トリノ冬季オリンピック(五輪)フリースタイル・スキー男子モーグルに米国代表で出場し、銅メダルを獲得した主人公だ。 自ら韓国系の養子だと堂々と明らかにし、さらに話題を集めた。

 しかしメダル獲得後の所感で「韓国人の親を捜したい」と語ったドーソンの期待は、わずか1週間で憤怒に変わった。 彼の受賞を聞いて、国内から親を名乗り出る人が200通を超えるメールを送ったからだ。 名前と所属会社を明らかにしない放送局のリポーターが「親を知っている」と言いながらドーソンにしつこく電話をかけ、困らせたようだ。

 ついにドーソンの代理人スピネロ氏が「ドーソンは親を捜すことに非常に敏感になっている。静かに科学的な方法で捜したい」という声明まで出すことになった。 親を名乗り出る人々のうち、家族関係を明らかにする遺伝子検査に応じるという人は誰もいなかったというのが、スピネロ氏の説明だった。 ドーソンが韓国訪問をキャンセルすることになった背景だ。 「オリンピックでメダルを取ったことが親を捜すのに役立てば・・・」という受賞所感を明らかにしたドーソンにとって、銅メダルはむしろ親探しの妨げになったわけだ。

 ドーソンは昨年にも韓国を3度も訪問しながら親を捜したが、見つからなかった。 それほど自分を生んでくれた親に会いたく、韓国系であることを誇らしく思っているというのが、スピネロ氏の説明だ。韓国人の母を尊敬するというアメリカンフットボールのスター、ハインズ・ウォードを彷彿させる。

 3歳の時に米国の家庭に養子として渡ったドーソンは、米国人夫婦の配慮で最高のスキー選手に生まれ変わった。 仮に彼がオリンピックメダリストでなく平凡な青年であれば、果たして親を自称する人がこれほど多く現れただろうか。 米国の家庭に渡るまで放っておきながら、今になって親を名乗り出るのは恥ずかしくないのか。 彼が静かに親を捜すことができるよう、みんなが協力しなければならない。

鄭済元(チョン・ジェウォン)スポーツ部門記者 <newspoet@joongang.co.kr>

中央日報 2006.02.22 18:23:25

ドーソン「静かに親を捜したい」・・・訪韓中止に

 養子として米国に渡った韓国系米国人のドーソン(29、米国)が、韓国訪問計画を突然キャンセルした。

 ドーソンの代理人スピネロ氏は23日(日本時間)、韓国選手団との電話で、「ドーソンが韓国で開催されるフリースタイルワールドカップ(W杯)大会に参加しないことになった。 オリンピックが終わればしばらく米国で休養を取る予定」と明らかにした。

 スピネロ氏は「ドーソンが韓国人の親を捜すことに敏感になっている」とし、「静かに科学的な方法で父母を捜すことを望んでいる」と説明した。 スピネロ氏は「しかしドーソンは今も韓国系であることを誇りに思っている」と伝えた。

 ドーソンは26日に訪韓し、ジサンリゾートで開催されるフリースタイルW杯に参加する予定だったが、最近、父母を名乗り出る人が相次ぎ、国内メディアが過度な関心を見せたことで、負担を感じているという。

朝鮮日報 2006/02/21 09:00

ドーソンの父を名乗り出たイ・ジェスさん家族

キム・ヒョンチョルさん  トリノ冬季五輪のフリースタイルスキー男子モーグルで銅メダルを獲得した韓国系米国人トビー・ドーソンが自分の息子ではないかと名乗り出た釜山のキム・ジェス(52・市外バス運転手)さんは20日、生き別れになった長男に会えるかもしれないという期待感で胸が一杯の様子だった。

 釜山市の南区・龍塘洞に住むキムさんの自宅には同日、各メディアの記者らが集まり、外部からの電話が殺到した。キムさんは出勤したが、電話のせいで途中で帰って午後は家で過ごした。長い間連絡が途絶えていた小学校の同級生や事情を知らなかった隣人から「本当の息子であることを祈る。必ず再会して長年の悲しみを晴らして欲しい」という激励の電話がかかってきた。

 キムさんは「当時、私は行方がわからなくなった息子を捜すすべをあまりにも知らなかった」とし、「しかし、今は周りの多くの方々が助けてくれ、明日にも会えそうな気がする」と述べた。

 遺伝子検査サービスを提供する(株)ヒューマンパスの李承宰(イ・スンジェ)代表は同日午後、朝鮮日報への電話で、ドーソンと父と主張するキム・ジェスさんの遺伝子検査を無料で行う考えを明らかにした。

 ヒューマンパスは昨年末、黄禹錫(ファン・ウソク)教授研究グループの依頼を受け、クローンイヌのスナッピーに対する遺伝子検査を行い、クローン作りによって誕生したことを確認した企業だ。髪の毛の毛根や血液からDNAを採取すれば、1〜2日程度で結果が出る。検査は米国のFBIが行う方式と同様だという。

 これについてキムさんは、「もちろん早く遺伝子検査を受けて、本当の息子かどうか確認しなければ」とし、「そうしてこそ、本当に息子かどうかを正確に確認できるし、早く会いたがっている親子には何より重要なこと」と話した。

 キムさんは午前中に発行を受けた戸籍謄本を公開したが、戸籍謄本には「1979年5月17日生まれ、子・ 俸石(ポンソク)」とある。抹消や除籍の表示はなかった。その上の行の母のウィ某さんは1985年離婚による「除籍」とあった。

 一方、軍隊に服務中のキムさんの次男ヒョンチョルさん(23・写真)は、「今まで存在も知らなかったが、兄が見つかることを望んでいる」と語った。

 国軍馬山病院に入院しているヒョンチョルさんは、今月20日、「19日、朝鮮日報から確認要請を受けた軍の関係者からこのことを聞き、父に電話して、『兄がいた』と初めて聞いて本当に当惑した」とし、「まだ実感できないが、写真を見た周りの人たちは『似ている』と言い、自分でも似ている気がする」と話した。

 2004年10月、入隊したヒョンチョルさんは、京畿道のある弾薬大隊に勤務しており、昨年9月サッカー試合の途中、左足の骨折で病院に入院した。ヒョンチョルさんは「これから1か月間病院に入院しなければならないが、ドーソンが入国すれば必ず会ってみたい」とし、「遺伝子検査などで兄であることが判明すれば、非常に嬉しく、誇らしく思うだろう」と話した。

朝鮮日報 2006/02/20 14:09

韓国出身ドーソン、父名乗る男性現れる


ドーソン選手(左)、キム・ジェスさん(中央)、キム・ジェスさんの次男ヒョンチョルさん(右)

 失った両親を探しているとし、米国代表として2006年イタリア・トリノ冬季五輪に出場していた韓国系米国人トビー・SC・ドーソン(Toby Dawson/28)に、実の父親だと主張する50歳代の男性が現われた。

 今月19日、釜山市の南区・龍塘洞に住むキム・ジェスさん(52/市外バス運転手)は、「親戚、友人から電話で『瓜二つ』と聞いて、新聞の写真を見て確認した」とし、「約20年前に生き別れになった長男に間違いないようだ」と述べた。

 キムさんは25年前の1981年、釜山市の東区・凡一洞の中央市場から自由市場までの区間で息子をなくした。息子の名前はポンソクだった。当時2〜3歳だった。息子は母と一緒に市場に買い物に出て、人波の中ではぐれて以来、見つけることができなかったという。現場は迷子になったドーソンが発見された場所に近い。

 キムさんは当時、息子と釜山・南区の門?3洞に住んでいた。ドーソンは3歳のとき、韓国式の名前の「キム・スチョル」と呼ばれ、釜山のナムグァン一時保護所に預けられた後、米国人に養子縁組された。

 キムさんとドーソンは顔の輪郭などがかなり似ている。キムさんとドーソンは頬ひげとふさふさした髪の毛、男っぽい顔つき、厚い耳たぶ、額のラインの点で似ており、小柄ながらもがっしりした体型も共通している。また長男をなくしてから2〜3年後に生まれた次男(ヒョンチョル/23/軍に服務中)の写真からも、顔つきや体型など、ドーソンとの類似点が多数見受けられる。

 キムさんが持っている唯一の「ポンソク」の写真は、生まれて100日を記念して撮った一枚だけ。親戚と一緒に撮ったこの写真のポンソクの姿は、子どもではあるが、目つきなどがドーソンに似ている。キムさんは、「ポンソクには、どちらかは覚えていないが、まゆげの上にタンスにぶつかってできた傷跡があった」と話した。

 しかし、次男が生まれた後、今から20年前に離婚した母親のウィ某さん(50)は所在が把握できず、今のところ母親を通じて確認する道はない。キムさんは肉親確認のための遺伝子検査に応じる考えがあることを明らかにした。

 一方、今回の冬季五輪のフリースタイル男子モーグルで銅メダルを手にしたドーソンは今月末、韓国を訪ねて産みの親を探す計画だ。今回ドーソンは3月1日から京畿道・竜仁に位置する芝山(チサン)リゾートで開かれる「2006芝山フリースタイル国際スキー連盟(FIS)ワールドカップ」に出場する。

 2004年にもこの大会に出場しているドーソンは1999年から両親を探すため幾度も祖国を訪ねているが、いずれも失敗している。

朝鮮日報 2006/02/16 19:33

「実の両親に会いたい!」 韓国生まれの銅メダリスト
モーグル米国代表トビー・ドーソン選手

米国のモーグルスキー代表トビー・ドーソン(28) 2006年トリノ冬期五輪で「第2のハインツ・ウォード」が誕生した。今度は混血人ではない。養子縁組した韓国系だ。

 米国のモーグルスキー代表トビー・ドーソン(28)がその主人公。ドーソンは16日(韓国時間)、イタリア・トリノのサウゼドルクスで開かれたフリースタイルスキー男子モーグルで26.30点をマークし、デール・ベッグスミス(26.77点/オーストラリア)とミコ・ロンカイネン(26.62点/フィンランド)に続き、銅メダルを獲得した。

 ドーソンは同日、1回目の滑りで6位にとどまりメダルも危うく思われたが、2回目に720度空中回転を大胆に披露、拍手喝采を浴びた。

 米代表チームとしては、有力な優勝候補だったドーソンが銅メダルに終わり悔しいかもしれない。しかし、ドーソンにしてみれば逆境を乗り越えて勝ち取った結果なだけに、喜びはひとしおだ。

 ドーソンは親から捨てられ、釜山の孤児院で暮らしていたが、3歳になった1982年にコロラド州ベイルでスキー講師を営む夫婦の養子となり、12歳でスキーを始めた。

 10代の頃はアイデンティティーの問題で悩まされた時期もあったが、その度に踏み誤った人生を修正してくれたのはスキーだった。

 孤児院で付けられた名前「スチョル」をミドルネームに「トビー・スチョル・ドーソン/Toby S.C. Dawson」と名乗り、故国に対する郷愁も忘れなかった。

 ドーソンは屈折した人生に打ち勝った勝利の主人公として、米社会に感動を与える原動力にもなった。結局、先月開かれた2005-2006FISワールドカップ男子モーグルで優勝し、堂々の米国代表として頭角、同日の栄光を手中に収めるに至った。

 米オリンピック委員会(USOC)のホームページを通じて産みの親を探しているドーソンは周囲の行き過ぎた関心に負担を感じつつも、「ゆっくり慎重な手続きを踏んで両親を探したい」と話した。

『スポーツ朝鮮』

中央日報 2006.02.16 19:02:38

<トリノ五輪>韓国系米国人ドーソンがモーグルで銅メダル

 米国のスキー代表選手トミー・ドーソン(27)。 彼の韓国名はキム・スチョルだ。 韓国で生まれたスチョルは3歳だった1982年、米国夫婦に養子として引き取られた。

 ドーソンは米国代表として第20回トリノ冬季オリンピック(五輪)に出場した。 そして16日(日本時間)に行われたモーグル競技で720度の空中回転を決め、1・2回目の合計26.30点で銅メダルを獲得した。

 ドーソンは「養父母に恩返しができたと思う」と喜んだ。 ドーソンはメダルを獲得する前から‘有名人’だった。 ワシントンポスト紙など米主要メディアと米オリンピック委員会(USOC)公式ウェブサイトはもちろん、トリノ五輪主管放送局である米NBCの五輪サイト(www.nbcolympics.com/freestyle)でも紹介されていた。

 実の両親を捜すための彼の努力だった。 20歳の頃には実の両親を捜すため韓国を訪問し、04年には韓国で開かれた大会にも出場した。 五輪サイトには幼児期の写真12枚を載せ、自分の心情を伝えた。

 ドーソンは16日、メダルを獲得し、再びメディアのスポットライトを受けた。 しかしインタビューでは「親捜しはゆっくりと慎重に行う」と語った。 ドーソンは「これまで親捜しに時間をかけてきた。 その間、自分が親だと主張する人はもちろん、電話もたくさん受けた」とし、複雑な心情を明らかにした。 失望も多く経験しているが、彼のルーツ探しは今後も続くはずだ。

トリノ=成百柔(ソン・ベクユ)記者 <carolina@joongang.co.kr>

朝鮮日報 2004/02/09 10:45

韓国人養子のスキー・モーグル米国代表、トビー・ドーソン

 迫力ある疾走、空中でのダイナミックなエア…。

 国際スキー連盟(FIS)招待・国際フリースタイル選手権芝山(チサン)大会(賞金総額5万ドル)が開かれた8日の京畿(キョンギ)道・利川(イチョン)・芝山フォレストリゾート。

 でこぼこの雪のコブ(モーグル)と二つのエア台が設置された230メートルのコース(平均斜度22.5度)で、世界トップレベルのモーグル選手23人が技を競い合った。

 ソルトレークシティー冬季五輪男子金メダリストで世界ランキング1位のラハテラ(フィンランド)らベテラン選手の技に、スキーを楽しんでいた人たちまで集まって歓声を上げた。

 その中でも、最も情熱的な滑りで大きな拍手を浴びたのはトビー・ドーソン(26/米国)。前日のテスト滑走でも、ほかの選手が「コースコンディションが悪い」と控えた中、ドーソンは日本人選手らと鮮やかなエアを披露した。

 予選で3位につけたドーソンは決勝で優勝を狙い、体を横にひねる「コーク720」という高難度のエアに挑んだが、着地で失敗して12人中11位に終わった。

 荒い息をしながらヘルメットを取ってコースを見上げるドーソンは“韓国人”だった。

 韓国名はキム・スチョル。釜山(プサン)で生まれた彼は3歳の時に養子として米国に渡った。孤児院で育った彼を迎えたのはマイク・ドーソン、デボラ・ドーソン夫妻だった。1年後に生まれた弟(キム・クォンさん)もソウルからこの夫妻の家庭に迎えられた。

 6年前に米国代表に選ばれたドーソンは、ワールドカップで2回優勝したのをはじめ、モーグルの看板選手に成長した。

 故国への思いに突き動かされ、5年前に釜山を訪問、自分が育った孤児院などを回ったが、両親を探し出すことはできなかった。

 「ソジュ(韓国の焼酎)をタッカルビ(鶏肉と野菜を鉄板で辛く炒めた料理)をつまみに飲むのが最高においしいところを見ると、やっぱり韓国人だなと思います」

 ドーソンは「有名選手になったら、生んでくれた両親に会えるのではないか」としながら、「韓国で開催される初のワールドカップシリーズでは必ず金メダルを取りたい」と語った。

利川=趙正薫(チョ・ジョンフン)記者 >donjuan@chosun.com