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反日テロリスト賛美

朝鮮日報 2006/01/09 09:18

光化門を通る李奉昌義士

テロリスト李奉昌を崇拝するパレード

 8日午後、大韓民国愛国青年同志会所属の会員たちは、ヒョチャン公園の李奉昌(イ・ボンチャン)義士の墓を参拝した後、命日(1月6日)を知らせるため、日本大使館まで市内カーパレードを行った。

 祖国のため命を捧げた義士らの大型遺影を載せた車の行列が光化門通りを通過している(写真:NEWSIS)。

朝鮮日報 2006/01/17 20:52

ハルビンに安重根義士の銅像

テロリスト安重根の銅像

 安重根(アン・ジュングン)義士が1909年、伊藤博文を狙撃した中国ハルビンの中央大街の公園に安義士の銅像が立てられた。写真は今月16日に行われた除幕式の様子。銅像の建立は社団法人「安重根義士崇慕会」と個人事業家イ・ジンハクさんが進めた(写真=安重根義士崇慕会提供)。

朝鮮日報 2005/08/24 10:23

【萬物相】大韓国人 安重根

 大韓民国の義兵中将 安重根(アン・ジュングン)が満州哈爾濱(ハルビン)駅で、日帝の韓半島侵略の元凶、伊藤博文を暗殺したのは1909年10月26日のことだった。

 それから5か月後の1910年3月26日、安義士は旅順の刑務所で処刑された。

 安義士は殉国する直前、面会にきた二人の弟に「私が死んだ後、遺骨を哈爾濱公園に埋葬した後、国権を取り戻せば祖国に改葬してほしい。天国に逝ってもわが国を取り戻すため努力する」という遺言を残した。

?安義士の殉国95周年、韓国が国権を回復してから60年の歳月が流れたものの、われわれは安義士の遺言を果たしていない。安義士の遺骨は旅順刑務所の裏山の墓地に埋葬されたと知られていた。

 しかし、この刑務所は日本、蒋介石の軍隊、中国共産党など、次々とあるじが変わり、昔の面影を残していないほど変わってしまった。

 安義士の処刑後、大規模な刑務所拡大工事によって、当時54人の死刑囚が葬られていた裏山の墓地も暴かれた。

?光復(独立)後、安義士の遺骨が埋葬された位置を捜すことができるという主張と証言が相次いだ。日本人刑務所長の娘の証言などに基づいて、「北緯38度49分3秒、東経121度15分43秒」という主張も出た。殉国した当時、安義士は黒いゴムの靴を履いていたという証言、カトリックに帰依(きえ)したため十字架とともに葬られたという証言も提起された。

?南北が安義士の遺体の共同発掘に合意し、中国が協力の意思を表明したことを受け、安義士の遺体が韓国に帰る可能性がいつにも増して高くなった。

 安義士の遺体を帰国させるためのキャンペーンを続けてきた元国会議員の金永光(キム・ヨングァン)さんが安義士の墓の位置を確認できる新たな資料を入手したことも追い風になった。

 安義士の哈爾濱での暗殺事件当時、ロシア語通訳で安義士を手助けした?東夏(ユ・ドンハ)さん一家が作成し、代々に保管してきた安義士墓地の地図だ。

?安義士には2男1女の子どもがいた。長男ブンドは12歳のとき、ロシアで死亡し、次男ジュンセンは、1952年釜山(プサン)に疎開しているうちに死亡、京畿(キョンギ)道の抱川(ポチョン)に墓地がある。

 安義士の孫であるウンホさん(ジュンセンの息子/米国に居住)は髪の毛と血液による遺伝子鑑定で安義士の遺骨を確認してくれる肉親だ。

 何回も墓地発見の可能性に期待をかけたが、実現せず失望したというウンホさんは、「地図が発見されたので、望みをかけてみる」と述べたという。

 安義士は、伊藤博文の暗殺を思い浮かべながら、「時が英雄をつくるのか、英雄が時をつくるのか。北風が冷たいが、私の血は熱い」と詠った。

 「大韓国人」安重根義士の遺体とともにその高い気位も祖国に帰ることを祈ってやまない。

金泰翼(キム・テイク)論説委員 tikim@chosun.com

 韓国人の行動はテロを否定する現代の人類社会の普遍的価値にそぐわない。

参考記事