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「静かなる革命 」 日本が韓国をコピー?

東亜日報 DECEMBER 20, 2005 08:32

[オピニオン]静かなる革命

ローズ革命、オレンジ革命、レモン革命を覚えているだろうか。2年前、グルジアで始まり、ウクライナ(2004年)、キルギスタン(3月)に広がった民主化革命を指す言葉だ。しかし、その後、グルジアのミハイル・サーカシビリ大統領は、最高裁判所のトップに側近を就かせ、法を権力の思うままにした。ウクライナでは腐敗に経済悪化、革命主導勢力間の分裂などが重なり、早くも内閣の首がすげ変えられた。キルギスタンの政治不安は隣国カザフスタンにとっては反面教師となった。市民は「民主主義より豊かさがほしい」と、14年長期政権の大統領にさらに7年を託した。

◆あの猛烈な勢いの革命がなぜしぼんでしまったのか。復興と開発のための欧州復興開発銀行(EBRD)は政治の競争や法治に原因があるという。無能な政治家や官僚を追い出し、腐敗した人を処罰できる「制度」なくしては、どんな人が立っても同じだということ。もう一つ重要なのは経済だ。経済に活力がなければ、民心は急激に変わる。思い切った経済の開放策で投資や仕事を増やしたハンガリー、スロバキア、ポーランドなどは革命を経ずに繁栄に向かっている。

世界で2番目の経済大国でありながら、15年間も病気扱いを受けていた日本も、静かな革命を遂げたようだ。子供用品が好調で、女性用品やペット商品が売れ、男性用品まで上向くとと、景気回復は確実と言われているが、ようやく紳士服の販売が伸びているという。「失われた10年」の間、世界最高の研究開発費を注ぎ込み、政治・経済のバブルを取り除いた結果だ。英『エコノミスト』誌はこれを指して「密かなる革命(stealthy revolution)」と表現した。

◆日本は1990年代に公共部門への支出を増やして経済回復を図ったが、失敗に終わった。競争や規制撤廃、労動市場の柔軟化などの避けて通れない変化を拒否したため、重い病気は治らなかった。「日本人学生と友達になったら共産主義にかぶれるようで、中国人留学生は日本人学生と遊ばない」というジョークが物語るように、根深い金融社会主義(financial socialism)からの脱却が課題となる。旧ソ連地域での失敗した民主化革命、日本が失敗した過去の経済革命への道を韓国はたどろうとしている。

金順徳(キム・スンドク)論説委員、yuri@donga.com

朝鮮日報 2005/12/19 11:09

【特集】「韓国ショック」で日本が目覚めた
日本は韓国の成功を研究・コピーして自分のものにした

 日本が変化した。日本経済はおよそ10年間に渡る長期低迷を抜け出して、競争力を回復しており、昔の日本型を改造した「新日本流モデル」にシステムをグレードアップした。小泉首相のリーダーシップ革命は、アジア外交の失敗という酷評にもかかわらず、政治・外交の地形を根本的に塗り替えた。

 変化した姿を見せる日本。日本では今、いったい何が起きているのか。

 「景気回復の勢いがすごいです。怖くなるくらいです」

 日本経済新聞・国際部の玉置直司次長は、久しぶりに会った記者に忘年会の予約がなかなか取れないと愚痴をこぼす。4年間ソウル支局長を務めた後、今年の夏に帰国した玉置次長は、その間に起きた日本の変わりように、ときおりびっくりすることがあると話す。

 株価の急騰と消費・投資の増加傾向、増える雇用、強化された企業の収益力…。日本経済の復活を知らせる勝利のニュースは、至るところから聞こえてくる。長期に渡る低迷の残像を日本のイメージとして覚えているわれわれに、最近の状況は突然の異変のように感じられるほどだ。

 しかし、日本の復活はいきなり訪れたものではない。東京で会った日本の専門家たちは、「周到に準備された再生」と診断した。「失われた10年」と言われはしたものの、実は巻き返しのために政治・経済・社会構造を総合的に荒療治した改革の歳月だったと専門家たちは意見を一致させた。

 著名な評論家である21世紀政策研究所の田中直毅理事長は、「若芽が出る前に、地下ではさまざまなことが起きるもの」と述べた。企業・労動界・政府がおよそ10年間にわたって少しずつ進めてきた数多くの「カイゼン(漸進的改善)」が蓄積されて、いよいよ結実を結んだというのだ。

 「何をどのように直さなければならないか、改革の方向は、みんなが分かっていました。問題は速度だったんです。完全に破たんする前に果たして改革を終わらせることができるのかが、ただ一つの核心問題でした」

 田中理事長は「ぎりぎりのところで、改革のデッドライン(締め切り)の間に合わせた」と述べた。「ぎりぎろのところで」を何回も強調した。

 慶応大学の島田晴雄教授は、とりわけ各企業が、必死の覚悟でイノベーション(革新)に乗り出したと伝えた。そういう意味で、「失われた10年」ではなく、「イノベーションの10年」と呼ばなければならないと島田教授は主張している。

 「21世紀型の未来需要を見据えた技術開発に全力で走ってきた10年間でした。1990年代日本の R&D(研究・開発)支出の割合は世界最高でした。その結果、環境対応技術などで、日本の企業が抜きんでた競争力を備えるるようになったのです」

 富士通総合研究所の理事長兼任している島田教授は、小泉首相のブレーンの一人だ。インタビューの途中、島田教授は興味深い話を聞かせてくれた。

 「実は、日本が気を引き締めるうえで、『韓国ショック』も大きな役割を担いました。ある日、気付いてみたら、サムスンが(半導体分野で)日本をはるかに追い越していた、ということです。しかも韓国のブロードバンド(超高速インターネット網)の勢いも、日本にはすさまじいショックを与えました。

 島田教授は、「韓国発ショックに刺激され、日本政府や産業界、皆が反省した」とし、「韓国を追い越せ」作戦に乗り出したと伝えた。「打倒サムスン」を旗印に日本のメモリー半導体産業が一つに団結し、通信網は競争体制に切り替わった。

 島田教授は「韓国のおかげで、日本は世界で通信費用がもっとも安価な国になった」と語った。 われわれが知らないうちに、日本は韓国を研究して、韓国の成功の秘訣をコピーして、自分のものにしたという話だ。

 確かに日本経済において電光石火ような「革命」はなかった。その代わりに得意とする「カイゼン」を通じて少しずつ漸進的な革新を成し遂げた。企業は「3種の過剰(過剰雇用・設備・負債)からの脱却を果たし、金融の構造調整と雇用の柔軟化、競争システムの導入などで課題をひとつひとつ解決してきた。

 こうした日本の改革に、英国のエコノミスト誌は、「ひそかに果たした革命(Stealthy Revolution)」という名を付けた。誰も気づかないいうちに、膨大な改革を成し遂げたという意味だ。気づかれないほど、ゆっくりとした速度だったが、日本は少しも休んではいなかった。

東京=朴正薫(パク・ジョンフン)経済部部長 jh-park@chosun.com