朝鮮日報 2005/12/07 19:52
「今日の日本を作った原動力の一つは韓民族」
「日本の中の韓民族史探訪団」、日本の韓民族史を体験
渡来人。 京都造形芸術大学の仲尾宏客員教授(70)は、われわれの祖先をそのように呼んでいた。
今月4日朝、大阪城を訪問した「日本の中の韓民族史探訪団」(教師400人、一般参加者139人)に会うために2時間以上の距離を駆けつけた仲尾教授は、朝鮮通信使研究会の会長を務める。朝鮮通信使だけを30年間研究しており、2年前には、本人が音頭をとる形で研究会を結成した。
仲尾教授は、「海の向こうの先進文明を伝えてくれた昔の韓半島の人々を帰化人と呼ぶのは間違い」と主張し、「日本の国民は、高句麗、新羅、百済による日本列島に対する影響が広範に及んでいたことをよく理解している」と述べた。
今年で19回目を迎える小中高校の教師らの日本探訪(後援・新韓銀行、累積探訪団員およそ1万人)を進めてきた朝鮮日報の事業団も、せっかくの生徒たちのそばを離れて学生の立場に立ち戻った教師たちも、仲尾教授の歴史に対する愛情の前では脱帽するしかなかった。
探訪団が釜山港を出発したのは、先月29日のこと。おのおの百済の王仁(日本の漢文学を伝えたという百済の学者)や阿直岐(日本太子の師を務めたという百済の学者)、高句麗の曇徴(法隆寺の金堂壁画を描いたという僧侶)になって、祖先たちが辿った海路と陸路をそのまま歩いた。
昼は、各遺跡を見て回り、夜は船上(2万3000トン級の専用遊覧船の富士丸)で講義を受けた。
壇上に上がって熱く講義をする 檀国(タングク)大学の鄭永鎬(チョン・ヨンホ)博物館長兼碩座教授、東国大学の尹明普iユン・ミョンチョル)教授、大邱(テグ)漢方医科大学の金世基(キム・セギ)教授兼博物館長、 江原(カンウォン)大学の孫承普iソン・スンチョル)教授、韓国伝統文化学校の李道学(イ・ドハク)教授の姿を一部の教師たちはすべてビデオで収録した。後で弟子たちに見せるためだった。
奈良の広隆寺にある日本の国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像。京都大学の美術学部の学生が、その姿に魅せられ、強く抱きしめて仏像の指が折れて酷い目にあったことがあるという教授たちの話に探訪団は腹を抱えた。
「われわれ新羅のものだったのか」と嘆声を上げたパク・ボムジン(39・大田(テジョン)キョンドク工業高校)教師は、「ソウル国立博物館にある金銅彌勒菩薩半跏思惟像(国宝第83号)と極めて似ている」と述べた。

法隆寺展示館の代表作として安置されている百済観音立像を目にしたキム・ヒョシム(43・光陽ペクウン高校)教師は、「シルエットがとてもきれいでしなやかな姿だった。年老いたうちの祖父のようで安らぎを感じた」と述べた。
百済と新羅だけではない。飛鳥地域にある高松塚の四神図、石舞台古墳には、高句麗の魂が込められていた。ひいては、日本の敦賀地域には、飛鳥寺など渤海(ぼっかい)の遺跡も少なくなかった。
キム・ヒョンスク(40・釜山(プサン)ミョンジン中学校)、パク・ビョンヘ(48・竜仁(ヨンイン)ポジョン高校)教師は、「韓半島の昔の3国の影響が、特に西日本の隅々にまで広く伝えられたことを直接確認できた」と述べた。教師らは行く先々でメモを取ったり、教育用資料を購入したり、写真を撮った。
一般人の資格で同行した戦争記念館の金石元(キム・ソクウォン)館長は、「とてもすばらしいイベントだった」とし、「今回の経験に基づいて戦争記念館の展示体制を一部変える考え」と述べた。
6泊7日間のスケジュールを終えて今月4日午後、大阪港を出発する富士丸号に向けて、大阪経済大学の管弦楽団は韓国の伝統音楽を演奏し、大阪港湾庁所属の消防艇は、水鉄砲のショーで見送った。
鄭永鎬教授は「日本の今日を作った原動力の一つは、韓民族だったという自負心を持って、未来に備えていかねば」と述べた。
朝鮮日報
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