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「日本よアジアに帰れ」侮辱しながら服従を要求

中央日報 2005.11.25 12:26:14

【コラム】日本よアジアに帰れ

 日本では新しい内閣がスタートするとき、コメディーの一部かというような演出がなされる。

 首相と大臣たちが日本人の体格にほとんど似合わないモーニングコートを着て首相官邸階段で記念撮影をする姿だ。

 服装のカジュアル化を迎え、欧州からもほとんど消えたモーニングの貴族趣向を明治維新以来今日まで内閣が固守していることから、日本人の西洋崇拝の断面が伺える。

 モーニングを着た大臣たちと小泉純一郎政府のアジア軽視政策を見れば、日本はまだ「アジアを離れて欧州の仲間入りを」と言った福沢諭吉の脱亜入欧論のままだ。

 近代日本最高の啓蒙思想家として今も1万円券紙幣にその肖像画を残している福沢諭吉は1884年、彼が支援した金玉均(キム・オッキュン)ら朝鮮開化派の甲申年クーデターが失敗すると1885年、時事新報に脱亜論という社説を書いた。

 彼は言った。「日本は朝鮮と中国の開明を待って一緒にアジアを興す余裕はない。日本は彼らとは別れて西洋の文明国たちと進退をともにしなければならない。悪い友達と付き合えばともに汚名を避けることができない。私たちはアジアの悪い友達を謝絶しなければならない」

 彼はまた、日清戦争を文明(日本)と野蛮(中国)の戦争だと言った。福沢諭吉はぼみすぼらしい知人を遠ざけるように朝鮮と中国を相手にせず、ひたすら西洋の思想と文物を受け入れ、日本を近代化しようと促した。

 その時代の日本のためには、彼の処方は正しかった。

 それから120年の歳月が経った。

 国際化を迎え、社会、経済、文化的な国境が消え同じ文化コードが韓国と日本と中国を含む世界のほとんどすべての国を貫く時代だ。株式取引をソウルとニューヨークと東京とロンドンでリアルタイムで同時に成り立つ。

 そして韓国と中国は日本より悪い友達でもなく、みすぼらしい境遇でもない。

 それにもかかわらず小泉の意識の進化は19世紀後半の日本を熱狂させた福沢諭吉の脱亜論段階にとどまっているのか。

 政府の外でもそのような兆しが感じられる。昨年の春、北京で韓国、中国、日本の国連協会代表たちが集まってフォーラムを開いた。テーマは国連改革だったが、話題の焦点は日本の国連安保理常任理事国選出問題だった。

 ベテラン外交官出身である日本首席代表は韓国と中国が日本の安保理進出をいくら反対しても日本は予定通り安保理常任理事国になると言い切った。アフリカ多数国家と米国の支持を信じたようだ。脱亜にとどまっても、世界の指導国になることができるという態度だった。

 第2次世界大戦以後、日本の入欧は入米に変わった。しかし脱亜はまだ隔世遺伝的に外国を見る日本人たちの認識と態度に現れるようだ。でなければ韓日関係と日中関係に悪材になるのがわかりきった靖国神社参拝を、あのように執拗に強行する小泉首相の行動を説明する手段がない。日本国民の多数が神社参拝が日本のアジア外交に及ぶ悪影響を心配していることを見れば、有権者たちの表を得るためだからという説明も説得力がない。民族主義としても説明できない。

 小泉首相は米国のペットという嘲弄を受けるほど、親米的だ。一言で強者に弱く、弱者に強い卑しい姿勢だ

 日本がアジアを離れて西洋を徘徊する間、アジアで日本の居場所は減るほかない。中国の胡錦涛国家主席は、靖国紛争以後、小泉首相をまったく相手にしない。韓国は必要な場合にだけ首脳と外相に会うという立場だ。

 政経分離によって外交的な対立が経済的な取引には大きな影響を与えないといえども、国際関係で経済が全てではない。

 日本はアジア国家としてのアイデンティティを取り戻すときだ。グローバル時代に脱米と脱欧はありえない。しかし日本が時代錯誤的な福沢信仰にしばられてアジアからそっぽを向けば、高い対価を支払う日が来るだろう

金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題大記者

 この記者が、「日本よアジアに帰れ」と本気で思っているのか分からないが、
「コメディーの一部」、「米国のペット」、「強者に弱く、弱者に強い卑しい姿勢」など
日本を侮辱しながら言っても、ただ反感を招き、彼らの言う「右傾化」を更に促進するだけだ。

少なくとも、「高い対価を支払う日が来るだろう」という威嚇の言葉では、日本の世論を変えることはできないだろう。

『時事新報』1885(明治18)年3月16日付け社説 福沢諭吉

 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。
 
 故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。
 
 文明は猶麻疹の流行の如し。
 
 目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。
 
 此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。
 
 我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。
 
 況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。
 
 西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。
 
 政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。
 
 如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。

 如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。
 
 是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。
 
 我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。
 
 然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。
 
 此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。
 
 交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。
 
 我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。
 
 幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。
 
 如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。
 
 輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
 
 例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。
 
 之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。
 
 其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。
 
 左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。
 
 惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。
 
 我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。

(注)読みやすいように、改行を入れてます。