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歪んだ優越感 : 天皇は韓国人

朝鮮日報 2001/12/23 19:06

日王、朝鮮半島との血縁関係を初めて言及

 明仁日王が23日、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記録されている事実に、韓国との縁を感じる」とし、日王家が古代朝鮮半島と深い関係があったことを認める発言をした。

 「桓武」は781〜806年に在位した第50代日王であり、在位期間中に日王自らが公の場で朝鮮半島との血縁的関連性に言及したのは、これが初めてのことだ。

 日王は68歳の誕生日を記念した記者会見で、韓国に対する考えを質問され、このように答えた後「武寧王は日本との関係が深く、そのため五経博士が代々日本に招聘されるようになった」と答えた。また「両国の国民が昔から深い交流があったことは、『日本書紀』などに詳しく記録されている。聖明王が仏教を伝えたことは広く知られている。韓国から移住・招聘された人々によって、多様な文化・技術が(日本に)伝わった」と述べた。

 これについて、東京のある外交消息筋は「日本政府のレベルで事前に調整したという痕跡はない。日王が個人的な認識を明らかにしたものと思う。韓日間の懸案の一つである日王訪韓問題に、この発言がどのような影響を与えるか注目される」と指摘する。

 日王はまた、「宮内庁楽部の楽士の中には、当時の移住者の子孫で代々、楽士を務め、今も折々に雅楽を演奏している人がいる」と述べた。さらに、「こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と、韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思う。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っている」と答えた。
 さらに、「しかし残念なことに、韓国との交流はこのような交流ばかりではなかった。このことを私たちは忘れてはならないと思う」と指摘、不幸な過去の歴史も記憶すべきだとの立場を明らかにした。

 日王は2002年ワールドカップが「ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っている」と付け加えた。

 日王は1998年10月、金大中(キム・デジュン)大統領が訪日した際、「一時、わが国が朝鮮半島のみなさんに多大なる苦痛を与えた時代があった」と発言するなど、在位12年間で4回、韓国に対する反省の意味を明らかにしたことがある。

東京=朴正薫(パク・ジョンフン)特派員

朝鮮日報  2001/12/24 21:47

【記者手帳】日本の「王家血統」報道のタブー

 古代日本の王家と百済(ペクジェ)の関係を言及した明仁日王の発言は、ほとんどの日本のマスコミで取り上げられなかった。朝日新聞、京都新聞を除いた新聞や放送は、それについては一切触れないか、他の内容の最後に少しだけ沿えるようにして掲載しているだけだ。

 マスコミの“沈黙”に対する答えを見つけるため奔走した記者に、知韓派のK教授が興味深いヒントをくれた。長い間テレビ朝日の王室担当記者をしてきた神田秀一氏が今月はじめに生放送番組に出演した時の証言だった。

 神田氏によれば、日王が朝鮮半島との関係を言及したのは今回が始めてではない。1984年に全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が日本を訪問した際、裕仁昭和日王が晩餐の時に次のような話をしたと記憶していると神田氏は語った。
 「推古(592〜628年在位)以前の日本の天皇の歴史はよく分からない部分が多い。天皇の中には貴国(韓国)と関連のある方が日本に来て、その流れが天皇史の中に含まれているかもしれない」

 当時、晩餐の席にいた取材記者は皆聞いたというこの発言は、当時の日本の新聞では全く報道されなかったという。この生放送に出演していた加藤紘一自民党元幹事長などが「初めて聞いた」と驚いた程だった。

 天皇家の血統は長い歳月の間日本のマスコミの禁句となってきた「菊(日本皇室の紋章)のタブー」だ。 しかし「開かれた王室」を追求するという現在のような時代にもタブーが生きているとは不可思議なことだ。

 ニュースの価値がないと判断したのか?しかし日本の新聞が会見記事で天皇の恋愛時代のエピソードまで報道するのを見るとそうとも言えまい。
 明仁日王は韓国と日本の国民にメッセージを投げようとしたのかもしれないが、そのメッセージは日本のマスコミに隠され、大衆にまで伝わることができずにいる。

朴正薫(パク・ジョンフン)東京特派員

朝鮮日報 2001/12/24 22:32

「日王は百済の末裔」韓国人学者の主張

 日本の大阪市内の百済駅。貨物を専門に扱うこの駅の漢字名は百済駅だ。辺りには百済高校まである。日本列島に現在まで残る百済の痕跡だ。日本王室の宝を収蔵している奈良市にある東大寺の正倉院。朝鮮半島から渡来した先進文物が相当数保存されているこの場所は、まず建物の姿形からして高句麗民家に良く見られる桴京(プギョン)とまったく同じだ。

 日本列島のあちこちに残っている朝鮮半島の文明の跡を見付ける度に歴史学者らは興奮する。朝鮮半島からの移住民たちが日本に渡り先進文明を伝えたことのみならず、日本王室の根を形成したという主張は、実は韓国内ではこれまで少なからず出されてきた。歴史学者らが韓-日古代関係史を疎かにしている間、これらの主張は古代史の世界を興味津々に伝逹し、相当の大衆的な認識を構築してきた。

 明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが、これらの主眼は400年以上さかのぼる。 15代応神日王が百済系という主張がそれだ。

 82年に『沸流百済説』を提起した金聖昊(キム・ソンホ)韓国農村経済研究院顧問は、広開土大王碑から出てきたように396年、沸流百済最後の応神が日本に渡り15代日王となったという。金顧問は沸流百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国であり、したがって応神日王は朝鮮半島南部に居住した倭族だったと主張する。

 『日本古代史研究批判』、『日本古代史の真実』などを発行した崔在錫(チェ・ジェソク)高麗大名誉教授(社会学)は『日本書紀』に根拠、 7世紀中盤の舒明日王が百済系だと注目している。崔教授は「639年舒明日王11年に百済川周辺に宮廷を作り、百済大賓という名前だったという記録が出てきた」とし、「舒明日王は641年百済宮で死去し、賓所を百済大賓とした点から見て百済系なのが明らかだ」と言う。教授はここでもう一歩踏み込む。日本の母体となった大和倭が400年頃百済系移住民によって作られたため日本の王室は百済系だという主張だ。

 『今昔碑文を通じて見た百済武寧王の世界』を発行した蘇鎭轍(ソ・ジンチョル)円光(ウォングヮン)大政治外交学科教授は漆器を根拠に「日本の倭国は4世紀後半から百済の侯国であり、日王はこれら侯国の君主のうちの一人だった」と主張する。これだけではなく「7世紀飛鳥地方にいる80〜90%が渡来人だったという文献もある」と話した。一昨年「日本の天皇は韓国人だ」という本を発行した洪潤基(ホン・ユンギ)韓国外大教授は「日本の古代王室系図の『新撰姓氏録』を含めた主要文献と百済と新羅の神を祀った日本王室の祭祀慣習として行う点から見て、日本王室は韓国人に間違いない」と主張する。

 しかし最近『作られた古代』を出版した李成市(イ・ソンシ)早稲田大教授は「(韓国の研究者たちが)近代韓国の民族意識を古代に投影している」と指摘する。「解放後、韓国人による韓日関係史研究は日本民族に対する韓民族の優越性を古代史の中から追い求めることが疑問の余地もなく試図されてきた」という彼の批判は“日本コンプレックス”に対するもう一つの直撃弾であるかも知れない。

金基哲(キム・ギチョル)記者

中央日報 2001.12.23 21:34:51

「百済王の子孫が桓武天皇の生母」明仁天皇、韓日の縁を強調

 日本天皇が古代韓日間の交流事実と韓国とのゆかりを強調し、「2002年韓日ワールドカップ共同開催を機に、両国民の理解と信頼感が深まることを願う」と述べた。

 明仁天皇は68歳の誕生日を迎えた23日、特別記者会見を開き、韓日両国の人的・文化的交流問題に言及しながら「韓国とのゆかりを感じている」と話した。日本の天皇が韓国との歴史的交流事実を取り上げながら両国の関係に対して具体的な立場を表明するのは異例だ。

 明仁天皇は「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されている。韓国から移住した人々や招聘された人々によってさまざまな文化や技術が伝えられた」と韓日関係について話し始めた。

 天皇は「こうした両国の文化交流は日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っている」とし、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じている」と話した。

 天皇は「武寧王は日本との関係が深く、この時に五経博士が代々、日本に招聘されるようになった」とし、「武寧王の子・聖明王は日本に仏教を伝えたことで知られている」と付け加えた。天皇は、宮内庁楽部の楽士の中には当時の移住者の子孫で、代々、楽士を務め、今も折々に雅楽を演奏している人がいると紹介した。

 天皇は「しかし残念なことに、韓国との交流はこのような交流ばかりではなかった」と強調した。

 天皇は「ワールドカップを控え、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えている」と述べた。

東京=呉デ泳(オ・デヨン)特派員 <dayyoung@joongang.co.kr>

中央日報 2001.12.24 22:03:05

【社説】日本天皇の発言、歴史認識発展の契機に

 日本の天皇が23日、自身の先祖である桓武天皇の生母が百済(ぺクジェ)の武寧王(ムリョンワン)の子孫であることが続日本紀に記録されていると言及し、日本の皇室と百済との血縁関係を公開的に認めた。これは1984年、昭和天皇が「6−7世紀、日本の古代国家形成時に韓国から来た人々が大きな役割を担った」とした発言をさらに具体化したもので、歴史認識においてかなり踏み込んだものであることに我々は注目したい。

 特にこうした見解は、@両国間で周期的に繰り返される歴史わい曲問題がワールドカップ共催という国際的行事にまで摩擦をきたし、感情的対立を生む恐れがある時点A21世紀の東アジア経済発展をリードしていく投資協定締結など、相互間の交流、協力の雰囲気を萎縮させる可能性がある時点−−で出されたものであるため、一層意味があると思われる。

 これまで両国は、歴史問題が起きるたびに、仲裁できないほどの見解差を露呈し、平行線をたどってきた。古代史に対する天皇の23日の発言に対しても、両国の世論が異なる反応を見せているのがまさに実証的な例だ。韓国側はこのニュースを大きく取りあげた反面、日本のマスコミはごく少数の新聞以外はほとんど沈黙を守っている。

 両国の指導者らは定期的に「韓日歴史共同委員会」の設置に合意してきたが、これはいつも政治的社交儀礼にとどまっていた。我々の注目に値する進展といえば、セミナーと懇談会数回だけだった。日本の天皇の発言を機に、共通の歴史認識を土台にした両国間の協力増進は、真しな議論の出発によってなされるべきだ。極右的または極左的見解を積極的に排除し、事実と史料を中心に評価し、現場調査などを通じて忌たんない意見を表明できる社会的雰囲気が作られてこそ、過去の歴史評価が意味をなすだろう。我々が過去の歴史に対する優越感や日帝時代のコンプレックスを克服し、日本を討論の場に導き出してはじめて日本も変わっていくのだろう。

中央日報 2001.12.26 21:49:33

【専門家寄稿】明仁天皇の発言、度過ぎる拡大解釈への警戒を

 今回、明仁天皇の血縁関係をめぐる発言に対し、日本国民が驚いたという事実は、非常に驚くべきことだ。日本の天皇家全部が、百済(ぺクジェ)系統だということでもなく、単におよそ1200年前のある天皇の生母が、百済王の子孫だということは、そんなに騒ぐことでもないだろう。しかも、それは日本の史書に出ている厳然たる事実だ。それに比べて、今回明仁天皇がそうした発言をしたことに、どのような政治的目的があるものかは知らないが、自身の常識的な考え方を率直に打ち明けたものと受け止めたい。ここで、問題になった当時の状況を注意深く見てみよう。

 8世紀後半に在位した桓武天皇の母親は光仁天皇の夫人で、名前は高野新笠だ。『続日本記』を見てみると、789年12月に桓武天皇が在位していた間、その母親の皇太后が亡くなるとその翌年の790年1月に葬儀を行ったが、その葬儀の部分の最後に、皇太后は百済・武寧王(ム二ョンワン)の息子である純抒太子(スンタテジャ)の子孫だと、出ている。その先祖の朱蒙(チュモン、都慕王)は河伯の女が日の光に感応して生まれており、皇太后はその子孫であるゆえに、「高い天にいる太陽の息子のお嬢さん(天高知日之子姫尊)」という意味の諡号(しごう)を与えたとなっている。

 ところが、その純抒太子は505年斯我君(シアグン)という名前で倭国に派遣され、長く滞在したが、513年亡くなった。その間息子を1人産んだが、彼が和(倭)君の先祖となった。その和氏が770年代に高野氏と姓を変えており、桓武天皇の生母である高野新笠はその一族だった。それらは約270年にわたり、日本の貴族社会に百済の武寧王の子孫だという名分で高い地位を維持しならが生きてきたのだ。これがどうして可能だったのだろうか。

 韓半島と日本は、古代時代には比較的文化の交流が活発だった。正常な交流もあったが、総じて韓半島で大きな戦乱がある度、大規模な移住民が日本列島に移して行った。そうしたケースのなかで主要なものが、5世紀初め、前期の伽耶(カヤ)連盟が解体されたとき、5世紀後半に百済の首都・慰礼城(ウィリェソン)が陥落したとき、6世紀中ごろ百済が滅亡したときなどだ。日本の古代文化の発展はそれら、すなわち渡来人の移住を機に高揚された。そのため日本では、伝統的に新羅(シルラ)よりは韓半島で早くに姿を消した国家、伽耶と百済に親しみを示しているのだ。

 今回の明仁天皇の発言は、日本の歴史認識がさらに一歩進んだことを示唆するものではあるが、下手すると「日鮮同祖論」に発展しかねない。日鮮同祖論は、韓国と日本の過去の先祖が同じだという学説で、日本帝国主義による植民支配時代に日本の学者らが韓国人らを懐柔するために出した学説だが、その研究水準は深くない。なお、依然として日本の天皇家の起源について具体的に解明されたものがない。よって、天皇の一言に鼓舞され、些細な諸証拠でもって騒ぎすぎるのは自制すべきだろう。韓国と日本の血統関係については、今後、真実を糾明するという真の目的を持ったうえで、客観的な研究が進められなければならない。 

金泰植教授(キム・テシック、弘益大・韓国古代史)

東亜日報 DECEMBER 24, 2001 08:27

日本天皇、韓国との縁を強調し友好のメッセージ

日本の天皇が22日、韓日関係の重要性を強調しながら、「私自身に関しては、垣武天皇の生母が百済の武寧(ムリョン)王の子孫だということが続日本紀に記録されており、韓国との縁を感じている」と述べ、非常な関心を集めている。

明仁天皇は23日、68歳の誕生日を前にして行った記者会見でこのように述べ、「武寧王は日本との関係が深い。当時、五経博士が代々日本に招へいされていたうえ、武寧王の息子である聖明(ソンミョン)王は日本に仏教を伝えた人物として知られている」と付け加えた。

明仁天皇のこのような発言は、来年ソウルで行われるワールドカップの開会式に出席できない代りに、韓国国民に送る友好のメッセージとして受け入れられている。天皇が日本の皇室の「百済起源説」について触れたのは、これが初めてのことで注目を浴びている。

明仁天皇は「日本と韓国国民の間には昔から深い交流があったという事実は日本書紀などに詳細に書かれており、韓国から来られた人々と招へいされた人々によって、多様な文化と技術が伝えられた」と述べた

参考
 『百済倭』
 『あなたは韓国人』 日本語の起源は韓国語
 『The Historic Long, Deep Korean Roots In Japan』古代日本は韓国人の支配下
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