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韓国に媚びる日本人 : 明成皇后を考える会 甲斐利雄
 閔妃殺害事件の関係者の子孫を探し出して韓国で土下座させる

中央日報 2005.05.10 21:58:12

明成皇后殺人犯の子孫が謝罪

 「もっと早い時期に来るべきでした。 殺害事件について心からお詫びしたい」。明成皇后(ミョンソンファンフ)殺人犯の子孫らが、高宗(コジョン)皇帝と明成皇后(ミョンソンファンフ)が埋められた京畿道南楊州(キョンギド・ナムヤンジュ)の洪陵(ホンルン)を訪れて謝罪した。 殺害事件から110年ぶりとなる。

 10日午前に洪陵を訪れたのは、1895年に明成皇后を殺害(乙未事変)した国友重章の孫・河野龍巳氏(84)家入嘉吉の孫の妻・家入恵子氏(77)と、「明成皇后を考える会」会員の日本人10人。 2人の子孫は墓に向かって3度、礼をした。

 2人は、明成皇后殺害事件のドキュメンタリーを制作しているチョン・スウン・プロデューサーの招請で、9日に入国した。 河野氏は「家族にしか知らせてこなかったが、日本に帰れば多くの人に、ここで見て感じたことを話すつもり」と語った。

 河野氏らは、ちょうど英親王の忌日を迎えて洪陵近隣の墓地を訪れた明成皇后のひ孫イ・チュンキル氏(67、米国居住)と偶然、出くわした。 河野氏と家入氏から謝罪の言葉を受けたイ氏は「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない」とし、「政府レベルの謝罪がなければならない」と語った。 河野氏は「日本の皇室が謝罪しなければならない」と答えた。

 昨年7月に熊本県の教師30人余を中心に「明成皇后を考える会」を設立した甲斐利雄氏(76)は、「10年前の100周忌に参拝したかったが、自分と同じ考えの人はいなかった」とし、「今回を逃せば、次の機会はないと思った」と話した。

 彼らを招請したチョン・スウン・プロデューサーは「殺人犯らは、これまで伝えられてきたのとは違い、エリートだった」とし、「殺人犯47人には、日本人が韓国に設立した漢城新報社の職員20人が含まれていたという事実を確認した」と主張した。 河野氏らは11日午前に景福宮(キョンボックン)を訪問した後、12日に出国する。

南楊州=「泳大(ぺ・ヨンデ)記者 <balance@joongang.co.kr>

朝鮮日報 2005/05/10 20:00

明成皇后の孫と殺害犯の子孫「110年ぶりの謝罪と許し」

 日本浪人によって命を奪われた明成(ミョンソン)皇后の孫と、皇后殺害に関与した「浪人」の孫が手を握り合った。
 
 10日昼、京畿(キョンギ)道・南揚州(ナムヤンジュ)市・金谷(クムゴク)洞・洪陵(ホンヌン)。

 高宗(コジョン)の息子・義親王の9番目の息子、李忠吉(イ・チュンギル・67)さんの前に、明成皇后の殺害に関与した国友重章の外孫・河野龍巳さん(84)が頭を下げた。

 李さんが河野さんの手を強く握った。

 李さんは「祖母を殺害した浪人の子孫が謝罪してくれるのはうれしいが、皇后を殺害した、痛切な歴史を忘れてはならぬ」と述べた。

 この日は英親王の忌日。米ニューヨークに住む李さんはこの日、洪陵の近くにある英園(英親王墓)で、叔父に当たる英親王の祭享(王室の祭事)に出席した後、洪陵を訪れた。

 この日「明成皇后を考える集い」の会員10人とともに英親王の祭享に参加した河野さんは、全州(チョンジュ)李氏の一部の宗親らから冷遇を受けた。

 「皇后を殺した殺人犯の子孫がわざわざここに足を踏み入れるのか。とっとと出ていけ」。と声を荒げる宗親もいた。

 しかし、祭享を終えた李学周(イ・ハクジュ)英園奉享会会長は、彼らに弁当を渡した。「せっかく来た客だから、食事の接待くらいはすべきだと考えた」と述べた。

 思いがけぬ“歓待”を受けた河野さんは「許してくれなかったら(今回の訪問が)何の意味もなさなかったので、気をもんでいた」と話し、笑顔を浮かべた。

 河野さん一行は、洪陵を参拝した後、京畿道・驪州(ヨジュ)にある明成皇后の生家を訪問した。

キム・ギチョル記者・a href=mailto:@kichul@chosun.com>@kichul@chosun.com

朝鮮日報 2005/05/09 19:13

明成皇后殺害犯の後裔らが謝罪訪問

閔妃(想像図) 明成皇后殺人犯の後裔らが事件から110年目にして謝罪の意を伝えるため9日、訪韓した。

 1896年の深夜、景福宮(キョンボックン)で明成皇后を殺害した日本の浪人、国友重章の孫、河野龍巳さん家入嘉吉の孫の妻、家入恵子さんが「明成皇后を考える会」の会員と共にこの日、韓国へ来た。

 熊本出身の国友は事件当時、同行した先輩にあたる安逹謙蔵・漢城新報社長の下で主筆を務め、日本の浪人らを率いて景福宮に乱入、家入はこの時参加した熊本出身の浪人だ。

 二人は10日午前、明成皇后と高宗が合葬された南揚州(ナムヤンジュ)市・?谷(クムゴク)洞の洪陵を訪れ、午後には京畿(キョンギ)道・驪州(ヨジュ)の明成皇后の生家を訪問する。翌日には110年前に事件現場となった景福宮の玉壷楼(復元工事中)を訪れた後、12日に帰国する予定だ。

 「明成皇后を考える会」は昨年11月に熊本出身の元教師20人によって結成され、明成皇后殺人犯らの後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明を率先して行っている。明成皇后殺害事件に対する反省から出発してこそ韓日が真の友好を築く新たな時代を切り拓くことが出来るという主旨からだ。

河野龍巳さん(左端)河野さんは韓国に向かう直前の9日午前、祖父の墓を訪ね、今回の韓国訪問を報告した。内科医の河野さんは熊本出身の細川元首相の後援者として知られている。

 国友は三浦公使ら明成皇后殺人犯55人と共に裁判に回付されたが、1896年の広島法廷で証拠不十分によって全員釈放された。国友はその後、大阪朝日新聞の主筆に推薦されたが、明成皇后殺害事件への関与が問題となり取り消され、1909年に病死した。

 今回の訪韓を取り持ったのはフリージャーナリスのチョン・スウン氏。昨年から明成皇后殺人犯の後裔を追跡してきたチョン・スウン氏は「明成皇后殺人犯の後裔による謝罪を通じて110年間のしこりが残った韓日関係のわだかまりを解く糸口を見付けるようになった」と語った。チョン・スウン氏によるドキュメンタリー番組は8月にSBSテレビを通じて放送される予定だ。

キム・ギチョル記者 kichul@chosun.com

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