中央日報 2005.08.30 12:31:59
【グローバルアイ】ラストサムライと小泉首相
日本で男性が欽慕する職業群を調査した資料にプロ野球団の総監督、オーケストラの指揮者、帝国艦隊の司令官が上位を占めたという資料を見たことがある。
すべて絶対権力を行使しながらも決断と責任が1人のリーダーに集まった悲壮な美を漂わせる職業群だ。しかし集団主義よりは個人主義が広まり、民主的価値の多元主義世界観が支配する今日もこのような職業群が、欽慕される男性像の象徴であるかはわからない。
最近、日本経済界では「ラストサムライ」という言葉がよく使われる。日本が源泉技術を持っている分野や、優越的地位を占めていた分野から追い出された状況を逆転させるための悲壮のカード、新しい政策、人物を言った言葉だ。この言葉は日本の歴史において侍がもつ一匹狼的英雄意識とされ、日本人には悲壮な美を与える。ハリウッドがトム・クルーズを登場させてまで『ラストサムライ』を作るぐらいだから、インパクトのあるものだといえるだろう。
ところで21世紀デジタル時代になぜこのような悲壮な美が漂う言葉が風靡しているのか。人口減少と中国・韓国の成長に象徴されるアジアの安定と復興、個人の創意性を強調するITを含めた情報通信革命、米国的価値観の衰退および全世界的反米感情が広がる中、米国の軸に便乗して高速成長を謳歌してきた日本が、過去の世紀のような絶え間ない成長と安定のために決断と選択に迫られているからかもしれない。
日本の政治で見ればこのような「ラストサムライ」的行動は、最近の小泉首相の衆院解散、郵政改革への執着などにも現われる。小泉が日本の政治改革のラストサムライのような姿を見せているからだ。
衆院解散後、小泉首相の人気と支持度が上がったことも過去10年を「忘れてしまった10年、浪費した10年」として無気力に送った日本人の隠れた熱望と執着の闘士であるかもしれない。もちろん小泉首相が見せるこのような一匹狼的に意地を張る姿が日本国内で肯定的に受け入れられるとしても、それが国際政治レベルで必ずしも肯定的には受け入れられるとは限らない。
靖国神社を参拜する小泉首相の極右・保守的態度と過去に対する歪曲(わいきょく)した認識は、世界2位の経済大国と同時に国連安保理常任理事国を狙う日本のリーダーとしてはふさわしくない。
このような歪曲された認識と行動は、過去の軍国主義時代に「日本が満洲の戦闘場で大規模の虐殺行為をほしいままにして以来、西洋人たちは日本を文明国と呼ぶ」と説破した岡倉覚三のような覇権的熱望に捕らわれた人物による別の表現で映し出されることもある。
日本は国連憲章に明示された戦争犯罪条項の該当国家だ。そのような日本が戦後に未曽有の経済繁栄を遂げたことは平和国家のイメージを享受したためだ。韓国など周辺アジアの国々が過去の沈澱物を踏み、日本と善隣友好外交を拡大していくことができたのも日本国民が極右的な一部政治家たちと違い、平和愛護的だったからだ。
現在アジアは平和と繁栄の道に入るのか、それともまた冷戦的覇権と分裂の道に入るのか岐路に立たされている。台湾と中国間の戦争勃発の危険は大きく減り、韓半島の緊張と危機も解決の糸口が見えかけている。新しい共存と協力の機運にあふれている。しかしいつでも過去の冷戦期のような軍事的硬直性がこのような協力の機運を座礁させることもある。
このような状況で日本の役割は非常に重要で、デモクラシーと市場経済の核心的価値を共有した韓国との協力と和解は必須だ。韓半島分断の原初的原因は日本帝国主義と深い関連がある。韓半島分断の解消に日本が寄与することは、戦犯のくびきを解いてアジアと和解する良い機会であるといえる。
まもなく再開する6カ国協議で日本は協議成功の重要な鍵となることができる。小泉首相が好むロマンチックな悲壮の美の美学、決断はこのようなときに必要だ。小泉首相はすでに朝日平壌宣言を推進し、その決断性を示したことがある。
日本が21世紀にも平和と繁栄、アジアと和解、協力することができる道は右傾化をそそのかして平和憲法を粗末にする方向ではない「協力の決断」により可能なのだ。
|