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正体不明の謎の写真で日本を罵倒
 韓国では日本非難のためなら明確な根拠のない推定による妄想も許される

朝鮮日報 2005/08/16 09:53

「あの蛮行は国権強奪前に行われた」 朝鮮人銃殺写真の関連資料を発見

 白衣を着た3人の朝鮮人が、野原で小型の十字架に縛られ銃殺された。その横には脚絆をつけた日本軍3人が“堂々と”ポーズを取っている。

 当時も一種の「ポリスライン」があったようだ。向こうで朝鮮人たちが公開処刑を見守っている。

 独立記念館など、学界にはこの写真が1919年3.1独立運動関連者の処刑場面だと伝えられていた。このように公開的に朝鮮人を処刑できたなら、間違いなく日帝が朝鮮の国権を奪った1910年以降の場面だと推定されていたのだ。

 ところが、この場面は、大韓帝国が厳然と存在していた1907年度に起きたことが後になって判明した。銃殺された3人は無実の朝鮮人で、銃の殺傷距離をテストするための“実験対象”として殺されたことが分かった。

 近・現代史料収集家のアートバンクのユン・ヒョンウォン代表が最近、フランスの週刊紙「リリストラシオン」(現パリマーチの前身)1907年8月10日付からこの写真と関連記事を発見した。

 写真のタイトルは、「静かな朝の国で起きた日本人による韓国人処刑」だ。記事によると、この事件は全羅(チョンラ)南道の潭陽(タムヤン)で起きた。

 撮影時期は定かでないものの、1907年7月頃と推定される

 高宗(コジョン・朝鮮の26代王)の強制退位と朝鮮軍隊の解散などが相次いだ当時、民衆による蜂起が韓半島の各地で起きた。なかでも韓半島の西南部地域では激しい蜂起が起きた。この地域の住民は、日本の束縛と抑圧を他の地域に比べて厳しく感じたためだ。

 日本人の漁場や住居地などが略奪されることもあった。これを制御できる力を持たなかった朝鮮政府に代わって、日本は「秩序維持」を理由に弾圧を加えた。

 裁判を行なうふりをして大量死刑が執行されたこともある。おぞましく残酷な事件が続いた。写真のなかの3人の朝鮮人は、好奇心から鉄道の建設現場に近づいた人だった。

 しかし、彼らが近づいた鉄道は夜中に略奪されていた。裁判なしに3人は逮捕され死刑を言い渡された。

 日本軍は銃器の殺傷能力をテストするため、この無実の3人の朝鮮人をテストの対象にした。50メートル離れたところで狙い撃ちされた際、人が銃に打たれて死亡するかどうか確認するため使われたのだ。

 日本人の将校はノートに射撃の結果を記録した。記事は「歴史上類を見ない野蛮な行為をこの静かな国で行なっている日本は、もはや絶対権力になった」と記事を締めくくった。