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ウトロ問題 朝鮮人同士の土地争いも日本の責任

中央日報 2005.08.15 17:49:58

【コラム】日本政府、ウトロ強制徴用朝鮮人問題に誠意を見せよ

 解放 60周年、韓日協定40周年になる今年8.15を迎え、果してわれわれが日帝植民統治の歴史から真の解放をしたのか、そして第2の独立である平和統一の道に向かって正しく進んでいるのかなどに対し、さまざまな感懐が交錯する。

 2月22日、日本の島根県議会の「竹島の日」条例制定と、その後の日本の歴史教科書歪曲(わいきょく)を見守りながら、大多数の韓国人は日本がまだ日帝植民統治と過去侵略史に対し、まったく反省をしていないという遺憾の念と同時に、果してこのような隣人と21世紀の北東アジアの平和と繁栄をともに議論することができるのか、疑問を持ったはずだ。

 これとともに日本の植民残滓がまだ清算されていない代表的事例の1つが、まさに日帝によって強制徴用された朝鮮人たちの村であるウトロに暮らす朝鮮人の生存権問題だ。

 日本国京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地にはまだ65世帯約2百人の在日朝鮮人が住んでいる。彼らは植民地時代、日本の軍国主義体制の下で軍飛行場建設に動員された朝鮮人労動者とその子孫たちだ。彼らは日本政府と企業から何の補償も受けることなく、工事現場の臨時宿所に残り、差別と貧困の中、今日まで暮らしてきた。

しかし、彼らにある日、急に不動産業者から撤去通告書と訴状が送りつけられた。この軍飛行場建設を担当した軍需会社の後身である日産車体工機が住民に知らせずに土地6千4百坪を売ってしまったのだ。日産から土地を買収した不動産業者の提訴に対し、日本の司法部は住民たちに撤去を申し付けた。

 彼らがどうしてそこへ来るに至ったのかについては歴史的背景はもちろん、彼らの人間としての居住権、ひいては生存権などまったく考慮されなかった。約20年の間、ウトロ住民と日本の良心勢力はウトロを守るために奮闘してきたが、日本政府はこの問題を民事上の土地所有権問題と認識し、司法的・行政的介入を嫌った。

 日本は日韓基本条約第2条1項の「両締約国は …両国間および両国民間に請求権の問題が…完全にそして最終的に解決されたことを確認する」というのを根拠に、韓日関係の過去の清算がすべて終わったという認識を持ち、ウトロ問題に対する責任を回避している。しかし韓日基本協定は6文書どれも日本が不法植民支配を明確には認めていない、問題が多い売国条約だ。

 強制徴用にあって苦痛を経験しているウトロ住民の生存権問題のような日帝植民地被害者問題を放置していては真の光復(解放)とはいえない。その上、今年は韓日国交正常化40周年になる年だ。韓日両国政府は両国間の友好関係や最小限の人権保護というレベルで、見放されたウトロ朝鮮人の悲惨な非人間的な生活に関心をもち、彼らの要求に耳を傾けなければならない。

 この問題の解決は短期的には韓日両国政府の政治的解決がまず行われなければならない。今すぐ強制撤去対象で自活能力がない生活保護世帯に対し、優先的な救済が行われるように韓日両国間外交的努力がなければならないだろう。特に日本政府は国際人権A規約(社会的、文化的そして経済的人権規約)に加入した国として生活保護対象である朝鮮人に生存権を保障する国内特別立法をさっそくにも制定しなければならないであろう。

 ところが、根本的な解決はウトロ土地の買入である。韓国市民社会は「ウトロ救う希望の募金キャンペーン」発足式を7月21日、韓国言論財団で行った。この席に集まった希望の募金の代表者33人は、この小さな声が330人、3千3百人と増えて三千里津々浦々へと大きく広がっていくことを願った。

 韓国市民社会が自ら乗り出した「ウトロを救う希望の募金キャンペーン」は、韓日間の悲しい歴史を清算し、ウトロ住民と痛みをともに感じることで日本政府に大きな道徳的圧力を与えることになるであろう。

 解放60周年を迎え、真の和解と正しい過去の清算のために日本政府が「ウトロを救う」ために誠意を見せてくれることを願う。

李長煕(イ・ジャンヒ、韓国外大法学部教授、平和統一市民連帯常任代表?bsp;

中央日報 2004.11.29 17:15:20

日本最後の徴用韓国人集落「ウトロ」に強制退去の危機

 今月25日午後。京都市から電車で約20分の距離にある京都府宇治市ウトロ51番地。 赤スプレーで「強制退去決死反対」「『反戦記念碑』ウトロを消すのは在日韓国人の歴史を消すことだ」などと書かれた立て看板が、地区の入口に所狭しと並べられていた。 地区内の空き家は廃虚のように物寂しく、狭い路地には建築廃材が積まれていた。

 幅約100メートル、長さ約300メートルで、広さ約6000坪の地区内には、現在も65世帯203人が生計を立てている。 住人は全員在日韓国・朝鮮人であり、そのためここは「日本最後の徴用韓国人村」とも呼ばれる。 ウトロ地区の起源は、1941年に京都軍事飛行場の建設のため連行されてきた朝鮮人労働者約1300人の建設作業員宿舎に始まる。 彼らは日本軍の徴兵を避けるべく建設業に志願した。 故に強制徴用と同じといえる。

 彼らは1945年に飛行場建設が中止になるや、全員失業者に転落した。 わずかばかりの日当もやがて支給されなくなり、日本政府からの生活支援金も受けられなかった。 九州北部や南洋諸島で炭鉱員として徴用された朝鮮人もここに流れ着いたが、韓国・朝鮮人差別により就職できず、廃品などを拾って売るという極貧生活を強いられた。 さらに日産車体が土地の不法占拠を理由に水道の設置を妨害したため、88年まで井戸水で生活した。

 「半強制的に豚小屋みたいなこの地に連行され、死ぬほど苦労して暮らしてきた。 ところが今になってなぜ『ここから出て行け』と言われなければならないのか。 われわれのどこに間違いがあって裁判で被告扱いされるのか。 来年は終戦60周年、かつ日韓国交正常化40周年らしいが、われわれウトロ住民の痛みは終わらない」。1941年からウトロに住み、父親と夫を飛行場建設現場に送っていたというムン・グヮンジャさん(84)は終始のどを詰まらせていた。

 「朝から晩までシャベルで土を掘り続けるほどの重労働はほかにはあるまい。 少しでも手を休めれば、すぐに現場監督からむちが飛んできて…みんな毎晩せんべい布団にくるまってガタガタ震えて寝たよ。 今になって強制退去だなんて、一体どこに行けというんだ」。

 26歳だった1942年、故郷の大邱(テグ)から九州福岡の天道炭鉱に連行され、その後この地区に移り住んだチェ・ジュンギュさん(88)は、雨漏りのする屋根を見つめながらため息をついた。

 これまでウトロ住民に手を差し伸べてきたのは、日本の市民だった。 89年に「ウトロを守る会」が結成された。 最近、羅鍾一(ナ・ジョンイル)駐日大使が京都府知事に対策を要請した。 日帝の労役に動員された韓国人が、戦後何の補償もされないまま放置されたことを歴史的・人道的な次元で見つめよと要望した。 韓国政府関係者も「具体的な支援方案などを総合的に検討した後、日本政府と接触する計画だ」とし「日本の当該自治体が、社会福祉的・道義的側面から援助するよう促し、韓日の非政府組織(NGO)や在日韓国民団などが活動を推進できるような方案を講じる予定だ」と話した。

 早川和男・日本居住福祉学会会長は「ウトロ住民は共同体のおかげで今まで暮らすことができた。これを奪うのは生存権を奪うのと変わらない」とし「ウトロ地区の全土地を行政官庁が買収し、地区の将来建設について住民と相談しながら考えるべきだ」と述べた。 だが、当該自治体の立場は依然として明確でない。 京都府庁の木村学総務次長は「強制退去については心配しているが、民事上の問題であり、まずは所有主と住民の間で解決すべき問題だ」とコメントした。

宇治市ウトロ=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員 <luckyman@joongang.co.kr>

中央日報 2004.11.29 19:30:10

【社説】ウトロ地区の徴用被害韓国人に関心を

 日本最後の徴用韓国人集落、ウトロ地区が強制撤去の危機にひんしている。 ウトロ地区の登記上の所有者だった軍需産業業者が、住民たちに内証で土地を売却し、その後この地は転売を繰り返し、土地所有者が住民の退去を要求しているためだ。

 周辺のアジア諸国と世界平和に多大な被害を与えた日本帝国主義の歴史や、韓国と日本の国交正常化交渉当時に在日韓国人の請求権が排除された状況などを念頭に置かなければ、この事件はさほど複雑な外交問題にはならないかもしれない。 しかし、この問題は、単純に日本国内の都市における貧民地区住民と開発地主間の利益争いを越えた歴史的課題としての側面を含んでいる。 ウトロ地区の歴史は、日本帝国主義が行った周辺国民に対する強制徴用と直結している。 この地区は本来、京都軍事飛行場建設のため連行された朝鮮人労働者約1300人の建設作業員宿舎だった。 だが終戦後、九州福岡や南洋諸島で炭鉱員として徴用された韓国人が集まり始め、徐々に日帝によって徴用された韓国人の集団居住地になった。 ウトロ地区住民を日本で徴用・労役した日帝下における軍産複合体は、終戦後名前を変えて生き永らえたが、徴用された労働者には何の働き口をも提供しなかった。 結局、彼らは廃品などを拾って売るという、都市の貧民になってしまった。

 ウトロ地区の事態は、日本帝国主義の犠牲になった周辺アジア国民の恨(ハン)と日本社会の彼らに対する偏見、そして彼らが日本社会に入り込めないために生まれる「限界と排除の歴史」をそのまま見せてくれる。 その荷を今こそ降ろす時だ。 日本の市民団体や知識人は1987年に「ウトロを守る会」を創設し、日帝の過ちに対する悔悟と反省の立場で人道主義的解決を要求し続けている。

 韓日政府も、これまで無関心なまま放置してきたウトロ問題を解決すべく積極的に推進すべきだ。 韓日両国政府は、東北アジアの代表的な自由民主国家である韓国と日本の協力と信頼の未来が、ウトロ地区問題のような小問題を解決する過程から始まることを念頭に置くべきだ。

中央日報 2004.11.29 20:42:14

【写真】徴用韓国人集落「ウトロ」に強制退去の危機



 日本最後の徴用韓国人集落「ウトロ」が、強制立ち退きの危機にひんしている。 日本人が結成した市民団体「ウトロを守る会」会員とウトロ地区住民約300人が、今夏(8月8日)に人の輪を作って立ち退き反対デモを行った。 ウトロは京都市近郊の宇治市にある。



 12歳の時に両親とともにウトロに移り住んだキム・ギョンナムさん(74)が、立ち退き反対と書かれた立て看板のある地区の入口に座っている。 この地区に住む65世帯のうち、12世帯は身寄りのない65歳以上のお年寄りだ。



 終戦後、ウトロ地区に流れついた韓国・朝鮮人は、廃品を拾って売るという極貧生活を強いられた。 地区の空き地に廃品が積まれている。



 建設作業員宿舎を改築した住居の浴室。 故国への郷愁の念が、白頭山(ぺクドゥサン)の絵から感じられる。

参考サイト