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靖国報道 日本の死者に対する鎮魂は許されない

朝鮮日報 2005/08/16 14:47

戦後最大規模の参拝客が殺到 靖国神社ルポ

 日本・東京の靖国神社正門から参拜場所である拝殿までは約50メートル離れている。この道を通るだけでも30分ほどかかった。

 朝8時から集まり始めた参拝客たちは、午前10時頃には神社前の地下鉄出口から本殿まで1キロメートルほどの区間をぎっしりと埋め、摂氏33度の暑さの中参拝の順番を待った。ほとんどが一般国民だが、中には軍国時代の軍服を着たり、組職暴力団スタイルをした極右団体の会員たちも目についた。

 太平洋戦争敗戦から60周年(日本では終戦記念日)である15日、14人のA級をはじめとする戦犯を合祀している(1か所に集めて祭祀を執り行なう)靖国神社。

 この日の追悼式を主催した3つの右翼団体が事前に立てた参拝者数の目標は20万人。敗戦後最大の規模だ。この日実際に参拝した人員を正確に把握するのは難しいが、靖国関係者は「期待していた程度を優に超えたようだ」と話した。今月6日に広島で開かれた原爆60周年平和記念式に集まった人数は5万5000人余りだった。

 午前 10時 30分。スピーカーを通し、戦争当事者だった昭和天皇の声が神社に響き渡った。「先に、米英両国に宣戦布告した理由も、日本の政治的・経済的自立と東亜の安定を願ってのものであって…・・・」反省など少しも見受けられない60年前の終戦詔書、通称玉音放送だ。

 やがて「君が代」が流れ、黙念。参拝客の一部が涙をぬぐった。行事主催側は共同声明文で「総理参拝に対し中・韓両国が執拗に反対し…」と言いながら、隣国に対する憎悪を刺激した。

 靖国の正体をつぶさに見ることができる神社内の歴史博物館「遊就館」。この日ここの第1映像ホールでは『私たちは忘れない!(−感謝と祈りと誇りを−)』というタイトルの50分ほどの映画を一日中繰り返し上映していた。

 「朝鮮独立をめぐって勃発した、日清戦争の結果で、朝鮮は独立の道が開かれ…」「満洲・モンゴル・中国・日本・朝鮮の五族共和をはかる満洲国建設…」「朝鮮・台湾の若者達も一つになって大東亜戦争を勇ましく争いました。私たちは彼らのことも絶対忘れません」など。あきれるほど、隣国民と歴史を蹂躙・歪曲する内容だった。この映画は「争いに勝つことができなくても、精神こそは残り、この子孫は必ず再起三起するだろう」という軍国時代の誓いで幕を閉じた。

 参拝を終えて遊就館に寄った、参戦経験を持つあるお年寄りは、記者に「韓国・北朝鮮の若者と一緒に(米国と)戦い、天皇のおかげで戦争を終わらせることができた」とし「(それだから私たちは)争うことなく仲良くしなければならない」と言った。“靖国的”なこじつけ論法だ。

 8月15日に靖国への参拝客が急増したのは、2001年(8月13日)に小泉総理が参拝を始めたことによる。その前年に比べて実に2倍に増えた。福岡地方裁判所は昨年の初め、こうした事実を指摘して「(小泉参拝が) 靖国神社を援助、助長、促進する効果をもたらした」とし、日本憲法が禁止する「宗教活動」であると認めた。

 今年8月15日に参拜した国会議員は47人で、昨年の65人よりも減った。日本の右翼らが“歴史断絶”の象徴とみなす、小泉純一郎総理の「8月15日参拝」も行われなかった。もちろんその理由は隣国の批判への考慮ではなく、選挙を控え、「靖国」を争点としないための“政治ショー”だ。

 連立与党である公明党は、総理の8月15日参拝を反対して来た。政治家たちの“不振”を日本国民がしっかり埋め合わせした、敗戦60周年だった。

朝鮮日報 2005/08/16 07:12

過去を賛美しながら過去を反省すると言う日本

 日本の小泉純一郎首相は15日、敗戦60周年を迎え、「かつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」とし、「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と述べた。

 日本の歴史に対する“反省”の首相談話は、95年の村山首相談話以来、10年ぶりのことだ。

 談話は村山元首相の談話と大同小異の内容だ。アジアの平和維持発展のため、協力すべき対象として韓国と中国を具体的に取り上げたことが唯一の差だ。

 談話が発表された日とその前日、中川昭一経済産業大臣をはじめ、小泉内閣の大臣3人が第2次世界大戦のA級戦犯の位牌のある靖国神社を参拝した。中川経産相は「参拝の性格が公的か、私的か」という質問に対し、「私は現職閣僚」と言い切った

 政府自民党をはじめとする与野党の国会議員47人も、靖国神社に行って頭を下げた。

 日本は一体なぜ、戦争を反省するとしながら、戦犯の位牌が祭られている靖国神社への参拝を繰り返しているのだろうか。日本は一体なぜ、アジア人の心にまったく響かない「反省談話」を60年間繰り返しているのだろうか。

 もっとも根本的な原因は、すべてのアジア人が、この100年間体験した歴史を日本だけが勝手に解釈しようとする強引な態度を取ったためだ。

 日本に侵略された韓国や中国をはじめとするアジアの人々は、大陸への侵略、南京大虐殺、強制徴用、従軍慰安婦、731部隊の生体解剖の残酷な歴史を体験してきた。

 にもかかわらず、日本はこのアジア人がともに体験した歴史に背いて、日本が記憶したい歴史だけを取捨選択するという姿勢をとってきた。

 反省とは、基本的に「共通の記憶」と「共通の体験」を前提とする。現在、日本が推し進める教科書歪曲は、結局このアジア人の「共通の記憶」と「共通の体験」を否定することだ。

 そのため、「過去を賛美しながら、その過去を反省する」という論理的矛盾を繰り返しているのである。

 日本がアジアの「共通の記憶と共通の体験」を否定する限り、真のアジア人になれない上、真のアジア人になれない限り、真の世界人にはなれない。