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「市民団体」司法に介入

朝鮮日報 2004/08/13 20:18

市民団体が判事まで揺さぶっている国

 現場から聞こえてくる判事たちの苦しみの吐露が尋常ではない。多くの判事が市民団体の圧力に心理的動揺を覚えており、甚だしくは裁判に直接的な影響を受けることもあると打ち明けている。

 「市民団体の過ちを指摘しようとしても「守旧・保守・反改革」と罵倒されるのではないかと思い何も言えない」とか、「市民団体が自分たちの意に沿うように裁判所を占領し裁判を進めようとしているとしか思えない」「最近の社会ムードは軍部独裁時代の銃剣より恐ろしいと思う」といった判事たちの吐露は韓国の司法府が置かれた危機的状況を如実に物語っている。

 裁判官は法律と良心に従い何事からも独立して裁判しなければならないのが韓国憲法の規定だ。法律の解釈は時代の流れにより変化していくものだが、特定勢力が自身の政治理念を時代的流れであるかのように世論の名の下に司法府に強要するようになれば、司法府の独立と権威は立つ瀬をなくしてしまう。

 司法府の基本的使命が政治的多数の意思から少数の権利と人権を保護することにあるという点で、政権勢力またはこれと連係した勢力が特定理念をこの時代の精神であるかのように司法府に押し付けるようになれば、裁判は政治過程に変質し少数の権利は抑えられざるをえない。今、市民団体が「進歩」か「保守」のレッテルを判事たちに貼り付けながら圧力を掛けているのは法廷を政治の場に変質させる行為だ。

 現在の市民団体が構成員の性格と規模に合わない影響力を行使していることに、その過剰代表性の問題点を取り上げる声が高まっている。市民団体の相当数が特定理念と権力志向の性格を備えている上、その構成員たちの一部が市民団体を政治入門の関門のように利用しており、市民団体の生命である市民的純粋性を失ってしまったという指摘の声も拡大している。

 そのため、こうした市民団体が打ち出す司法改革に対し、判事たちが正しい裁判環境を醸成するための改革ではなく、自分たちと同じ理念と世代を基準に司法府における「人の入れ替え」を試みようということではないかと懸念されているのは当然の反応だ。