日本が文化財を保護したのは朝鮮を貶めるため?

中央日報 2004.10.19 20:54

【噴水台】国宝の家

 韓国の国宝第1号は、南大門(ナムデムン)だ。 国の宝物として、その価値が格別であり、国家が保護・管理を行なう1等の文化財だが、韓国が決めた国宝ではない。 日本による植民支配時代(1910〜45年)だった1934年、朝鮮総督府が、朝鮮(チョソン、1390〜1910)の主要文化財への保存令を下す際、指定したものだ。 宝物・第1号の東大門(トンデムン)も同様である。 建築的な美が、それほど優れているとは思えない朝鮮王朝の一つの建築物を、5000年にわたる韓民族文化の最高の象徴に決めた日本帝国主義の本音がうかがえる

 70年の歳月が流れる間、よその国が決めた国宝第1号を、皆が誇らしく思い、覚えていたわけではない。 特別な意志を持っている人々が、国宝第1号を変えよう、との意見を数回にかけて表明した。 植民地時代が残した一種の文化的烙印を、独立した後も額に押されたままの格好、だというそれらの主張は妥当だった。 だが、大韓民国の文化的自尊心を取り戻そうという進言は受け入れられなかった。

 それなら、韓国の堂々とした国宝第1号の候補は何だろうか。 学界と文化界の人物が口を揃えて、取りあげている宝物が『訓民正音(ハングル、1446年に朝鮮時代第4代王・世宗が公布)』だ。 世界で最も若い音字として、優れた科学性が認められている『訓民正音』が、国宝第70号に押されているのは、残念なことだ。 「国の言葉が中国とは異なり、漢字と互いに通じず...」から始まる世宗(セジョン)大王の創製精神は、民族の自主性を節ごとに刻み込んだ、一種の文化独立の宣言だった。

 この貴重な文化財も、ややもすれば消え去ってしまいそうな危機があった。 1930年代末、『訓民正音・解例本』を家宝に保管してきた所は、慶尚北道安東(キョンサンブクド・アンドン)の李漢杰(イ・ハンゴル)家。 時は、朝鮮総督府が各級学校で朝鮮語教育をなくし、日本語だけを使うよう強いていた1938年で、『訓民正音』は見方次第では危険な所蔵品だった。 その時、動いた人物が、澗松・全蛍弼(カンソン、チョン・ヒョンピル、1906〜62)だ。 十万石とされる家産を、日本に抜け出されるところだった韓国文化財を守るのに捧げた同氏が、その名品を見逃すはずがなかった。 ソウル仁寺洞(インサドン)骨とう通りの商人から『訓民正音』の話を聞いた澗松は、感激と興奮で、当時、住宅数軒の値段にあたる金額を惜しまず支払ったという。

 『訓民正音』をはじめ、まだ、手入れ作業が終わっていない澗松の所蔵品が集まっている所が、ソウル城北洞(ソンブクドン)の澗松美術館だ。 毎年、春と秋に、企画展示会を設け、韓国伝統文化の優秀さを広く知らせている同美術館で、現在、42回目の正規展示会として「玄斎(ヒョンジェ)大展」が開かれている。 韓国人の心の中の国宝第1号『訓民正音』が息づいている家だ。

鄭在淑(チョン・ジェスック)文化部次長

朝鮮日報 2005/11/08 07:14

監査院「国宝1号を変更すべき」

 現在、国宝1号に指定されているソウル崇礼門(スンレムン・現在の南大門(ナムデムン))を他の遺物に変えるべきだと監査院が指摘した。監査院は7日、文化財指定と管理の実態に対する監査に着手しながらこのように明らかにした。

 監査院は「日帝は1938年の『朝鮮宝物令』で文化財を指定した際、南大門を宝物1号に、現在の東大門(現在の宝物1号)を宝物2号に指定したが、光復(独立)後も1962年にようやく国宝と宝物を指定した際、そのほとんどが日帝の宝物令にそのまま従って指定された」と明らかにした。

 監査院は、予備調査と専門家諮問を経て「日帝の植民地史観に基づく決定であったため、歴史を立て直すという観点から国宝・宝物を改めて指定し直さなければならない」と結論を下した。監査院の高位関係者は、「南大門は、世界文化遺産に指定されているわけでもなく、一部の城郭だけが残っており、道路のまん中にあるため観光も不可能で、国を象徴する国宝1号としては適切ではない」と述べた。

 また監査院は、朝鮮王朝の玉璽(オクセ・王の印鑑)など、国宝、宝物クラスの文化財が散在しているにもかかわらず、文化財として指定されていないなど、文化財指定・管理がきちんと行なわれていないと明らかにした。

 およそ2000点の宮廷遺物に対する監査院の予備調査の結果、朝鮮王朝の玉璽のうち、外交関係などに使われた国権の象徴である国璽は、記録上13個があるとされるが、現在1つも残っていない。皇太子の冊封(公式認定)など儀式に使う玉璽である御宝は、いくつが使われたかという記録さえ定かでないまま、およそ300個が残っている。

 御宝のうち1つは、市場に流通しており、2つは海外で取り引きされた記録が確認された。なかでも記録上、米軍政下でマッカーサー元帥が日本から取り戻して韓国に返した6つの玉璽は所在がわからない状態だ。

東亜日報 NOVEMBER 10, 2005 01:16

国宝「崇礼門=南大門」、「第1号」の座を譲るか

関係筋は「崇礼門(スンレムン)はソウル中区(チュング)大路の真ん中に位置しているため、観光資原としての価値が落ち、外国人観光客たちに大きな感興を与え得ない」と指摘した。

これにより、監査院は内部の意見調整を経て「国宝第1号を新たに指定すべき」という勧告方針を文化財庁長に伝える方針だ。

これについて、兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長は同日、東亜(トンア)日報の電話インタビューに「国宝全体を再指定することは難しいが、国宝第1号の再指定案は現在検中の事案」と答えた。

文化財庁関係者も「監査院が勧告すれば、専門家と国民の世論を集め、国宝の再指定問題を検討する」と明らかにした。

崇礼門は、日本植民地時代の1934年、朝鮮総督府が朝鮮重要文化財保存令を発布し、重要文化財第1号に指定された。文化財管理局には、1962年に日帝の文化財をそのまま国宝・重要文化財として一括再指定したことから、「日帝の残滓を清算していない」という指摘がずっと提起されてきた。

これについて監査院は、すでに歴史再構築の次元で、国宝第1号を韓国を代表する他の文化財に変更することを含め、国宝全体の指定体系を変更する案について外部に研究作業を依頼している。

監査院は、澗松(カンソン)美術館所蔵の「訓民正音」(国宝第70号、世界記録遺産)、国立中央博物館所蔵の「金銅弥勒菩薩半跏像」(国宝第83号)、慶州(キョンジュ)「石窟庵」(国宝第24号、世界文化遺産)などを新しい国宝第1号の候補として推薦する案を検討しているという。

監査院はいっぽう、25日までに、文化財庁など8機関に11名の監査スタッフを派遣し、文化財指定と管理実態についての現場監査を行う。

しかし、国宝第1号を再指定することになると、さまざまな副作用が予想されるという指摘とともに、批判的な意見も提起されている。

国宝第1号を変えるとすると、対象となる文化財、遺跡についての国民的共感を形成することも容易ではないうえ、変更にともなう費用など、多くの副作用が予想されるというのだ。

特に日帝の残滓清算という次元で国宝第1号の再指定を推進することは、論理的説得力に欠けるとの指摘も多い。

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