古厩忠夫氏の動向

第三の名称を主張し、日本海と東海に反対する日本人教授古厩忠夫氏の動向を時系列にそって紹介。

「裏日本―近代日本を問い直す―」
岩波新書 1997
 なお、NHKは「裏日本」の呼称をやめ、より無色な言葉として「日本海側」に換えたことを述べたが、実は「日本海」という言葉も問題をはらんでいる。「環日本海構想」もいわれているときなので、このことについても述べておきたい。
 日本海という呼称の問題性を指摘したのは韓国慶北大学金泳鎬氏で、一九八九年に新潟で開かれた日本平和学界のシンポジウムにおいてであった。同氏は、十六〜十九世紀の西洋製地図の三分の二は朝鮮海とされており、明治初期の日本政府の公式地図も朝鮮海となっていたのが、朝鮮の植民地化以降に日本海という名称が普及したことなどを指摘して、「日本海」という呼称に疑問を呈し、「青海」といった新しい名前で呼ぶことを提起した。一方青山宏夫氏は、日本海という呼称のはじまりは、一六〇二年にマテオ・リッチが中国で作成した地図『坤輿万国全図』であるとした一九四二年の吉村信吉論文を紹介しつつ、呼称の成立過程をあきらかにした(「日本海という呼称の成立と展開」)。青山氏は同時に、日本海という呼称はそれによって定着したわけではなく、明治に入って「近代国家」成立とともに政府や軍の手によって定着していったことも指摘している。私はこの呼称の成立過程が日本の国民国家形成過程・帝国主義化過程と重複していることを重視し、また準閉鎖海域に一国の名前を付するのは適当でないという点で金泳鎬氏と見解を同じくするが、政府などが上から新しい名前にとりかえるのではなく、こうした歴史を考えながら、環日本海地域住民の総意にもとづいて新しい名前を決めていくのがよいと考えている。本書では、以上の前提をもとに「日本海」の呼称を用いている。
コメント:

「東海を緑海と呼ぼう」- 日本の学者の突拍子もない提案
中央日報 1999年10月25日の記事; koreawatcher氏による翻訳 (引用元)
東海名称について日本側が「日本海」に固執している 中、ある日本の学者が東海を「緑海」(Green Sea)と呼ぼうと提案し、注目されている。日本海に固執した日本の学界で、第3の名前を出したのは異例なことであるからだ。

日本の新潟大学人文学部の古厩忠夫教授は、社団法人東海研究会主催で26, 27日ソウル中区太平路プレスセンターで開かれる「東海地名と海の名称に関する国際学術セミナー」でこのように提案する予定だ。

彼はこの日発表する「日本海 - その三つの過去と名称問題」という論文で、「ベルリンの壁が崩れるほど世界の冷戦構造が消えているのに、『環日本海地域』だけは解氷されずにいる」とし、「国家間の争いの場になった東海を周辺国家間の平和を図って環境の海にしようという意味で『緑海』と称しよう」と主張した。

コメント:

日本海 - その三つの過去と呼称問題(Tadao Furuyama)
第 5 回地名と海名称に対する国際学術セミナー(1999.10.26-27) において発表 (原文)
イ・キソク先生, そして開催関係者皆さんに, 私をこのシンポに呼んでくださったことをすごく栄え栄えしく思いながらまことに感謝させていただきます. 去年日本を訪問した各国の首脳たちの中で日本国民に一番印象深い人を指折り数えなさいと言ったら, 多くの人々が金大中韓国大統領だと言うでしょう. 金大統領の 21 世紀を見通した韓日関係の構築を提唱した演説は日本人に深い感銘を与えたし, 韓国に対する親近感を一挙に増進させてくれた感じがします. それは日本に対する 「太陽政策」といっても過言ではないだろう. 私自分も金大統領の寛容精神によってばかりするのではなく日本人の一人として過去の歴史問題を含んで主体的に扱って行く決意を新たにするようになりました.

ところが, 2年頃前に私は日本海の呼称に対して, 韓国の KBS放送の取材を受けた事がありました. 私の見解はおおよそ次のような内容でした. 'この海を各国が自己の言葉でどんなに呼ぶのかに対しては各国が思って決めなければならないでしょう. マテオリーチによって付けられた日本海という呼称も, 本来は中国からボア日本の方にある海という意味であって, 決して日本の領域を意味することではなかった. しかし近代に入って日本はこの海の周辺=韓半島・中国東北・ロシア極東を侵略, 支配することで近代化をはかった. その過程で日本海は事実上日本の領域になった.'という主張が盛んになった. この過程を反省したら韓半島人々が 'the Japan Sea'という呼称を使いたくない心情は理解することができる. 国際共通語としての 'the Japan Sea'という呼称は変えた方が良いだろって. ただそれは国家対国家の争いという形態になってはいけないし, 周辺住民たちの平和と環境の海で作って行く議論の中で新しい名前を思って行くのが望ましいと思う.'

KBS放送の報道は 1時間もなったが, 私の言った内容は上記アンダーライン部分だけが放映されたようです. この先生から招待にあずかった時もしこの先生はこのプロを見て招待してくださったかも知れない. そうだとすれば今日の私の報告は上記インタビューの私は内容のような主旨なので皆さんの期待に行き違うこともできると思います. しかし今一番重要なことはこの問題に対して両国国民が話し合って双方の納得するに値する結論が出るように導くことだと思います. その精神に即して, 私の見解を表明したいです.

私は歴史を通じて学ぶのが重要だと思います. 最近になって日本における動向, ガイドライン法, 国旗・国歌法などを見るによっていっそうもっとそんな感じを持つようにドエオッヌンところ, やはり歴史に係わるが, 日本海を取り囲んだ 3種過去に対して申し上げようとします.

一番目過去とは近代以前の過去です. 時間的には 2000年にわたった期間なので, この期間には豊臣秀吉や区(元寇などに象徴される歴史もいたんですが, 各国国内で殺戮が続いていた時代にも, 環日本海地域の国際関係はたいてい良好に展開されていました. その典型は 7-8世紀の冊封体制モデルに捜すことができます. この時期は古代国家の隆盛時代だったし, 中国では唐(618-907)が繁栄を誇示していたし, 百万都会人長安には世界各国の人々が集まりました. また, 韓半島には百済・高句麗を滅亡させた新羅(676-935)がその北方には '海東の盛国'と称えられた渤海(698-926)があったし皆だ王朝に朝貢して冊封関係を結んでいました. 日本も 7世紀になると百年余りな断絶が経過した後, 遣隋使・遣唐使を送るようになります. この国際秩序としての冊封体制は唐を宗主にする中華帝国に華夷秩序体制に周辺帝国を組織する 'パックスシニカ'とでもしなければならない性格の物だったし平等な関係ではなかったがその柔らかい支配の下に戦乱が回避されて, 安定的な東北アジアの国際関係が続きました.

この時代について韓日文化交流会の議長である池ミョングァン先生は次のように言いながら, '差異を尊重しながら隣国間に協調して, (中略) 7世紀後半から 2百年以上や文化が繁栄された.'と高く評価した事があります. 国家間の対立抗争があったんですが, それを武力対決にまで至るようにしないで, 外交関係で処理する国際関係が存在していたことを銘記したいと思います. これを '冊封体制モデル'と呼びます.

国際関係が安定している時代には日本海も活気に満ちます. それを象徴することは渤海国史です. 今開発が試みされている豆満江の河口などで出発した滲む, 日本海の波に搖れながら海流と偏西風に乗って, 敦賀の松森に至るとか時には佐渡に至るとか出羽まで行ってしまったこともありました. しかし海流に乗って仮面多分日本に到着すると彼らは信じていました. 果てしない太平洋と違い日本海は準閉鎖水域なので必ずどこかに到着するはずだという安心感がありました. 渤海との往来は渤海の使臣が 182年間に 34回, 日本の使臣が 83年間に 13回ありました. 平均すれば 4年に 1回を上回ります. 教科書に出る遣唐使はどうなのかすれば 260年に 16回なので, 約 20年に一度しかだめです. 国際関係が安定したこの時代には日本海永遠に大陸文化の収入に大きい役目をしたこととは推定されます.

二番目過去は近代, 国民国家の時代です. 19世紀中葉, 東アジア諸国は専ら欧米列強の進出に直面して対応をしなければならなかったです. どんなにウエスタンインパクトに対処して, 富国強兵・殖産興業を実現するのかが課題になった時代でした. その中で日本は他の地域ではないこの環日本海地域-韓半島, シベリア, そして '満洲'-を侵略することで近代化を果たしました. その過程で '日本中では日本海は実質的に日本の領海になった'という主張が多くなりました. 1932年正月には現在の毎日新聞に '日本海'の活気は 'パックス・ジャポニカ' すなわち日本支配の下での活気でした. 日本の敗戦とともにその活気も崩れたことは皆さんが分かるところです. 20世紀全般のこの '帝国主義モデル'ともできる時代の傷はまだ癒えない状況で, 私たちは歴史の教訓を充分に認識して償う必要があります.

そして第 3の過去が前後 40余年にわたって環日本海地域を規定して来た '東西冷戦体制' - 'パックス・ルース・アメリカーナ'の時代です. この時代は西洋のベルリンの壁とともに東洋では日本海の間隙が東で対立の境目になった時代, 日本海が遮られた時代です. この '冷戦構造モデル' ということができる時代に対してはもうほとんど論議が終わったようで今日は略します. ただ, 忘れてはいけない点は 1989年にベルリンの壁が崩壊されたが, 日本海の壁はまだ残っているという事実です. 全世界で '冷戦構造'が溶解されて行く中に, この環日本海地域だけがまだ解氷にならない地域で残っています. もう 10年前に環日本海時代という掛け声が流れたのにかかわらず, その後展開の不振な原因がここにあるでしょう.

ところで私たちはこの 3種過去 - モデルとしての '冊封体制モデル', '植民地モデル', '冷戦構造モデル' - その正や負の遺産を受け入れて, どんなことでもない平等互恵を基礎にした第 4の環日本海モデルを作ろうとするのです.

前で私は国際的な名称で新しい英語表記を考案するということに賛成すると申し上げたんですが, しかし私は国家間の論争で名称を変更するということは適切ではないと思います. 過去の 3種モデルを返り見て感じる点は, 国家が露出して国益が衝突される時には, 日本海はその本来の活気を忘れてしまうというのです. '国家対立の時代'を超極しようとする今日の時代に適当に, この海周辺住民たちの総意に土台を置いて決めて行けば良いと思います. これからは国よりは自治団体や民間人たちが交流主体になるでしょうからだ.

必ず 10年前に金永好先生が永田で '青海'という名前を提案しました. 私は金先生の提案に同感しながらそんな精神に即したら '緑海'がもっと適当ではないかと思って思いました. 中国に青海という 省があって, また緑が '環境'を表示する色でもあるからです. こんな問題は例えばこの番(回)国際シンポみたいな所に活発に論議になれば良いです. 新しい名前が決まる時, その時が周辺住民たちの仲直りが進捗される時だと思います.

彼と同時に各国人々が自分の国の言葉でこの海をどんなに呼ぶのかに対しては, その国人々の選択に任せるという点に皆さんの同意を求めたいです. 私が新潟市内 31個中学校の校歌を調査して見た結果, 3個学校の中に一学校は校歌歌詞に日本海 (ニホンカイ)というものが出るということが分かりました. これはこの呼称がいくら愛用されているかをよく現わす例だと考えられます. ところで大部分の校歌は日本ミリタリズムが敗北された後, すなわち日本国民が平和を誓った前後に作られたことであり, そこに '日本の領海'という意味は少しもないです. 私どもが幼い頃から親近感を感じて来た故郷の空のような故郷の海です, '私たちの海'である同時に向う側の国々を思い浮かぶ '私たちの海'として呼んで来た呼称であることです.

日本海沿岸の住民たちは誰も '浦島太郎伝説'と呼ばれる竜宮話が分かっています. 人々はこの海その海泣き声向こうで幸せがあると信じて暮して来ました. だから多い人々がこの名前に愛着を持っているのに, これと同時に韓半島人々がこの名前をどう思っているのかに対しても肝に銘じたいです. 私が会長を引き受けている新潟大学ファンイルボンして研究会は多国間協助協定を結んでいる地中海やバルト海のように, 日本海と言う準閉鎖水域を中心にした共生・連帯を追い求めることを望んで, 回名称に海名付けました. そして今まで英語人で表記する時には Japansea Rimだと使って来たが, これから新しい海名前が決まるまでは North-east Asiaを臨時的に使いたいです.

以上に終わります. 皆さんありがとうございます.

コメント: 韓国語部分のみ抜粋。機械翻訳をベースに作成。

東海呼称 '緑海' どうかな
朝鮮日報 2002年9月10日の記事
8月 28日付けオピニオン面読者コラム ‘青海名称どうかな’を読んだ. 歴史的に‘東海’だと呼んで来た韓半島人々は韓日併合とともに‘日本海’だと呼ぶのを強要されたし, 教科書でも‘日本海’と記述された. だから韓国人たちが‘日本海’と言う呼称を忌避することは当たり前の事だ.

しかし国際的呼称は‘Japan Sea’と同じく ‘The East Sea’も 適切ではない. 日本で見れば西の方ないし北にあり, ロシアで見れば南側にあるからだ.

国際的な呼称で新しい名称を付けた方が良い. もう一部人士が青海という呼称を提唱している. 私は平和と環境を志向する意味で‘The Green Sea(緑海)’を提案する.

青海は良い名称だがもう中国に‘青海’という省名がある. 私たち新潟環日本海研究ネットワークの同僚の中には‘共生の海’を 意味する‘共海が良いと言う人もいて, ‘平和海’が良いと言う人もいる.

コメント: 機械翻訳をベースに作成

日本人大学教授が「日本海」を否定―「緑海」を主張する投稿を韓国紙に掲載
産経新聞 2002年9月12日の記事
 【ソウル11日=黒田勝弘】日本海の名称について韓国側が「東海」への変更ないし併記を要求していることが日韓の外交問題になりつつあるが、日本海を否定し第3の名称として「緑海」を主張する日本の大学教授の投稿が韓国紙に掲載され関心を呼んでいる。

 「第3の名称」論は以前から日韓双方の一部学者や文化人などの間で語られており、基本的には「日本海」を否定する意味で韓国側の立場に身を寄せるものだ。

 投稿したのは新潟大学の古厩(ふるまや)忠夫教授で「歴史的に“東海”といってきた韓半島の人びとは韓日併合とともに“日本海”と呼ぶことを強要された」「従って韓国人たちが“日本海”という呼称を嫌がるのは当然だ」とした後、「東海」も周辺国からの方角を考えると適切ではないとし「緑海」を提案している(朝鮮日報11日付)。

 同教授は3年前、ソウルで開催された韓国主催のこの問題での国際セミナーでも同じ主張を述べ韓国マスコミで話題になっているが、「日本海」は日韓併合(1910年)で日本によって強要された名称とする意見は韓国側の主張そのままだ。

 投稿は「青海」を主張する韓国人の投稿に触れたもので、韓国側ではこのところ「東海や日本海を越えて」と題し「表決で一方を屈服させるというのは好ましくない。共有された海の名称もグローバルな標準に合わせるべきだ」(中央日報2日付)など「第3の名称」論がマスコミによく登場している。

コメント:

「日本海の呼称」に関する『朝鮮日報』の記事について
古厩氏の釈明 (*)
朝鮮日報の記事は、私の主張のうち大事な部分を捨象した不正確なものである。
コメント: 要旨。全文は氏のサイトを参照のこと。

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