折り紙の起源はウリナラのチバン折りニダ!

保管庫のソース(訳注や追加資料もよく見てください)

趣旨

 チバン(Jibang)折りは、祖先をまつる儀式に必須のもので、代々伝えられてきた。これが韓国の折り紙の起源であるようだ。
 韓国の居住様式も韓国人がいかに紙と密接に暮らしたかを物語っている。窓だけでなく壁を作るのも紙を使った。いつ、どこで折り紙が始まったかは不明だが、紙が発明されるとすぐ人はそれを折り始めたはず。中国の折り紙が、その点最も古い。
 日本は高麗時代に韓国の修道士である曇徴(Damjing)から紙を作る方法を学んだ。その時、日本人は質の良い紙を生産して、自分達で折り紙を発展させた。日本は世界で最初に折り紙について書籍を出版した(1797年)。折り紙は世界中で「Origami」として有名。
 韓国の折り紙は小学校の教科書と教師養成教材の一部として載せられたため風習として続いたが、植民地時代の韓国文化抹消政策で消えてしまった。しかし、ついに1989年3月の「韓国折り紙協会」の設立で折り紙文化が復活した。
 我々は創作折り紙作品を展示するだけでなく、過去の伝統的な折り紙を発掘しなければならない。


粉砕の必要はないけど

折り紙の歴史
和紙の歴史

ぽぴぃの論考

 韓国の折り紙の起源が何であるかは特に論考の必要を認めない。日本も昔から紙を用いて儀式を行ってきた。それが日本の折り紙の起源かどうかは、韓国の折り紙の起源同様に論考の必要を認めない。「折り紙」また「たとう」という文化はあくまでも庶民の遊びであり、遠く由来を神事に発するといえども、それをもって起源とすることは不可能だからである。
 なお、和紙の歴史は現存する最古のものだけで1300年、文献や民俗学的論証を加えればさらに数百年はさかのぼれる。これをもって朝鮮よりも紙が浸透していたと考えるのは早計に過ぎるが、それはお互い様と言うべきであろう。紙の浸透と、その紙を使った折り紙の出現は、全く別個の文化としてとらえなければならないからである。ちょうど、プラスチックの浸透とプラモデルの関係にたとえればいいだろうか。
 折り紙とはあくまでも庶民が紙を用いて様々な形を折り出す遊びであり、その始まりをもって起源とするべきである。それがどこの国で始まろうと、結局それを発展させ、極めてきたのが日本であることは韓国の真摯な研究者も認めるとおりである。実際には、江戸時代にまだ高価であった紙を用いて、裕福な商人が、当時流行りであった高等数学などと併せて楽しみとして始めていたという説が最も有力である。なお、正方形の紙に色を付けた「おりがみ」は、明治時代の日本で発売された。このころにはすでに相当折り紙が浸透していたと見て間違いない。
 その証拠に明治時代から昭和の敗戦まで、高等女学校や女子師範学校の「作法教科書」には折形図がのせてあり、折形が「お作法」とともに教えられていたことがわかる。朝鮮でも「韓国の折り紙は小学校の教科書と教師養成教材の一部として載せられた」とされているが、これは朝鮮の併合時に上記の学習指導が移植されたものである。当然にして、それら日本の文化を「朝鮮文化抹消政策」などという代物で抹消することはあり得ない。
 日本が朝鮮文化を抹消するなどという、民族浄化にもにた愚策を講じたかはここでは論じない。


ぽぴぃの感想
 まあ、そこそこまともな説でしたね。本来は粉砕の必要すらないものでしょう。「折り紙の起源は不明」、「世界では折り紙はOrigamiと呼称」、「韓国伝統の折り方を発掘しよう」など、比較的冷静かつ公平、そして前向きな主張がなされています。
 あとは、何故折り紙を学校で教えるに至ったのか、とか、高価であったはずの紙を使った文化が生じるのは、庶民に至るまで紙が行き渡るほど豊かな土壌が必要だ、とか、そのあたりを若干こちらで補足してあげるだけで十分でしょう。